2012年10月01日

上司に怒られました

先週のことですが、会社の上司から怒られてしまいました。

私の言い方が癇に障るらしく、切れる寸前でした。


こういうことは、これまでにも何回かありました。

けれども今回は、私の存在そのものを否定されるようなことを言われたため、少し落ち込みました。



こんなことを正直にブログに書くのもどうかと思いましたが、あえて書こうと思います。

なぜなら、それが読まれた方の役に立つ、つまりメッセージになると思うからです。

そして私は、そういうメッセージを伝える者として生きたいと思っています。

それこそが、私らしい生き方なのだと。




私でも、気分が落ち込むことはあります。だってもともと、傷つきやすい人間ですから。

今回もそれで、いろいろなことを考えました。


まず、反論すること。

上司の言い分がいかに間違っているかを、論理的に説明することができます。

また、仕事の話をしているときにキレるなんて、責任者としての資質を疑うと言ってやることもできます。


けれども、そういうことは意味がないだけでなく、それをやっても本質的に私自身が喜べないことがわかっています。

受け入れてもらえなくて傷ついた私の心は、そんなことでは回復しないのです。


そういうことを知識(理論的に)としてわかっているので、私はそう考えることをやめました。

では、このモヤモヤした状況をどうすればよいのでしょうか?


そこで私は、1つの質問を自分に投げかけたのです。

「この出来事によって、私は何を得られるだろうか?」

出来事を幻想として俯瞰し、この出来事が私にもたらすメリットに、意識をフォーカスしようと思ったのです。



週末に、自宅でまた例の本を読み始めました。

もうすでに3回は読んでいます。

「神との対話」 、それをまた読み始めたのです。


すでに知っているはずの内容なのに、まったく色あせていません。

私は、3行読んでは考え、10行読んでは読み返すというように、そこに書かれている言葉の中の真実を読み取ろうとしたのです。

幸せ実践塾−傷つきやすい、内気、自信がない、を幸せ体質に改善します。-「神との対話」を精読する

すると不思議なことに、出来事がどうでも良いことのように思えてきました。

私たちが悪と呼ぶものを非難するなと書かれています。

悪もまた、神の一部なのだと。

悪があるから善がある。相対的な世界とは、そういうものなのだと言うのです。



私は、出来事を受け入れようと思いました。

これは、私自身が選択する経験を変えるきっかけになるのだと。


また、相手から否定されたことによって、罪悪感を抱くことも拒否しようと思いました。

それは「悪いこと」ではなく、単に「上手く行かなかった」だけなのですから。


これまで、相手に合わせようとして、つい愚痴に同調してしまい、それがいつしか自分の習い性になっていたと気づきました。

私はこれを反省し、もう二度と愚痴を言わないと決めました。

そういうところで相手に同調することをやめようと思ったのです。


処世術的にはどうかと思われますが、相手からどう思われるかなんて、どうでも良いことです。

それより、自分が自分を見失ったら、より栄光のある体験をする機会をなくしてしまいます。


そんなことを考えていると、怒ってくれた上司への感謝の気持ちが湧いて来ました。

キレかけたということは、心がひどく傷ついたのです。

「苦しい、つらい、なんとかしてくれー!」

そういう叫びだったはずです。

そんな思いをしてまで、私に気づきを与えてくれたことに、感謝したくなったのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:02 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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