この本、本当にオススメなのです。
ですからぜひ、読んでみてくださいね。
この本を購入したのは、実は昨年の7月でした。
誰かの紹介で購入したと思うのですが、もうすっかり忘れてしまいました。 (^^ゞ
常時10冊以上の本が未読のまま積んであり、必ずしも購入順に読むわけではないため、こういうことになるのです。
おそらくタイトルとか著者を見て、すぐに読もうという気にならなかったのでしょうね。
今回たまたま、自宅で読む本として選んで持ち帰り、さっそく読む機会があったのです。
そして、読み始めたらもう止まりませんでした。
いや、実際は止まって、一晩寝ました。(^^ゞ
けれども、朝起きてから、すぐに読みたくなって、また読み始めました。
出勤時間が来たのでその本を持って出社し、勤務前に最後の20ページくらいを読んで終了したのです。
登場人物のジョーンズという不思議な老人の存在が、あたかも私の側にいるような錯覚を抱きました。
まったく警戒心を抱かせない存在ですが、白人が日焼けしたのか、黒人なのか、ヒスパニックかアジア系なのか誰にもわかりません。
いえ、実はどの人種でも良かったのです。
なぜなら、どの人にとっても無二の親友だから。
誰もが自分に近い存在だと感じるのです。
ジョーンズが言うことは、実に簡単なことでした。
「物の見方を変えよう。」
たったそれだけです。
どんなひどい状況の人に会っても、彼はそう言うのです。
「立派なレストランではなく砂の上で、イワシとソーセージという質素なものを食べている。」
それも1つの物の見方です。
けれども、別の物の見方もできると言います。
「美しい砂浜で、極上のご馳走をいただいている。」
最初の見方からは、惨めさとか不幸な気持ちが漂ってきます。
しかし後者の見方をすれば、豊かさとか満ち足りた幸せな気持ちが沸き上がってきます。
そう言うと、ただごまかしているだけだと思う人もいるでしょうね。
でも、本当にそうでしょうか?
この「物の見方を変える」ということは、「神との対話」 にも書かれていました。
落ちぶれて全てを失い、自暴自棄になった著者のニールは、神に対して恨み言を言います。
それに対して神は、「あともうちょっとで成功するところだ」という見方を示すのです。
絶頂期から転げ落ちるように転落する人もいます。
一寸先は闇などと言いますが、人生はどうなるかわかりません。
ならば逆に、たとえ今がどうしようもない状況だったとしても、一寸先は大富豪ということだってあるのです。
「そんな夢みたいなことが起こる確率は 1%もないよ。」
そう言いたいかもしれませんね。
私も以前は、そういうように確率論で考えていました。
けれども、確率が正しいと言えるのは、「この世に起こることは偶然だ」とした場合だけです。
そこで、あなたの信念が試されることになります。
あなたは、この世に起こる出来事は偶然だ、と考えますか?
そう考えて生きようと思っていますか?
それとも、この世に起こる出来事は必然で無駄がない、と考えますか?
どちらを選ぶこともできます。
そして、どちらを選ぶかによって、運命が決まるのです。
出来事に翻弄されながら生きるもよし。
主体的に自分の意志で生きるもよし。
どちらを選ぼうと、あなたが選んだように生きることになります。
だから人はみな、自分の思い通りに生きるのです。
もうあとは死ぬばかりと、希望をなくした老女にも、ジョーンズは言います。
「その見方は正しくない。」
そして、次から次へと、年老いてから活躍した人物をあげていきます。
それだけではありません。
その老女が、少しなら社会に貢献できそうだと言うと、また言うのです。
「その見方は正しくない。」
かつて、20億人もの命を救った知られざる人がいたことを、その老女に話し始めます。
その人がいたから、20億人もの命が助かったのだと。
けれどもすぐに、本当の功労者は他にいると言い出します。
その人がそういう仕事をすることになったのは、ある人の影響を受けたからでした。
その影響を与えた人がいなければ、20億人を救う人は生まれなかったと。
私たちはよく自分のことを、「ちっぽけな存在」だと言うことがあります。
けれども、その見方は間違っています。
私たちは、けして「ちっぽけな存在」ではありません。
偉大な存在です。
素晴らしい価値をこの世に示し、讃えられ、愛される存在です。
もし、あなたがそう思えないとしたら、それはあなたの見方が正しくないのです。
ひょっとしたらあなたも、20億人の人の命を救う偉大な功労者かもしれません。
もし、あなたがそう考えるなら。
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