あなたも、そういう体験をしたことはありませんか?
今、私は、タイでソフトボールをやっています。
年に2回、3月と11月に大会を開催し、だいたい8チーム、総勢約100名ほどが集まって、1日ソフトボールを楽しみます。
今年の3月に第10回大会を行ったので、ちょうど5年間続けたことになります。
私は今、あるチームの代表を務めると共に、この大会の主催者の一員にもなっています。
ひざの調子が悪いこともあって、選手として参加するのではなく、裏方として大会運営を支えているのです。
元々、タイでソフトボールをやるつもりはありませんでした。
たしかに野球が好きで、東京で働いていたときは、大田区の河川敷で草野球をやっていました。
けれどもタイに来てからは、ゴルフを始めたこともあり、他のことをやろうとは思わなかったのです。
しかし、どうしてもやらざるを得ないように、環境が整ってしまうのです。
これはもはや、運命としか言いようがありません。
また、ソフトボールをやるにしても、監督など代表者的なことはやりたくありませんでした。
適当に参加して、いい汗をかければそれでいい。そんな気持ちだったのです。
けれどもそれも、運命が許してくれませんでした。
気がついてみれば、いつのまにかチームの代表となり、大会の主催者に加わっていたのです。
そうなると、選手との両立が難しくなります。
やはり代表者となると、全体を見て、みんなが楽しめるように心配りをしなければなりません。
そのエネルギーたるや、やった人にしかわからないでしょうけど、相当なものがあるのです。
「少しはこっちの気持ちも考えてくれよ!」
そうブチ切れそうになったことも、何度かありました。
でも考えてみると、これは初めての経験ではなかったのです。
大田区の河川敷で草野球をやってたときも、チームに所属して何年かたったとき、監督に任命されたのです。
しぶしぶ引き受けたものの、どうにも気が進みません。
監督が先発や交代要員を決めるのですが、どうしても他の人を試合に出させてあげたいのです。
いえ、他の人を差し置いて自分が試合に出ることに、後ろめたさを感じるのです。
その結果、自分を犠牲にするようになりました。
けれどもそれが、どうにも割り切れず、だんだんと野球に行くのが億劫になってきました。
ちょうど仕事が忙しくなってきたのを理由に、私はだんだんと試合に参加しなくなりました。
監督なのに試合に行かない。そんな無責任な。そのことがまた、私を苦しめたのです。
それからしばらくして、タイに行く話が決まりました。
私は結局、チームメイトに顔を合わせることができませんでした。
責任を放棄して逃げ出すようにして、チームを去ったのです。
そしてタイに来ても、また同じ状況がやってきました。
選手として気楽にソフトボールに参加したいのに、運命は私にチーム代表になることを求めたのです。
そんなとき、膝がきしみだしました。
激痛が走り、歩くことも大変なほどになったのです。
ひざ痛は、時間とともに収まったものの、違和感が残りました。
私は、選手として活躍することを諦めたのです。
選手として参加することができなくなった代わりに、私には心の余裕が生まれました。
これなら全体を見ながら、他の人たちが楽しめるように裏方に徹することができる。
そう思ったのです。
大会がないときは、月に2回ほど集まって、練習と練習試合をやっています。
私は最初のキャッチボールとトスバッティングには参加しますが、試合には出ません。
もっぱら審判をやって、みんなが楽しめるように考えています。
でも、これで良かったのだとも思えるのです。
最後はひざ痛という、よんどころない事情が生じたわけですが、きっとそうなってでも裏方に専念することが、私らしい生き方だったと思うのです。
運命はそれがわかっていて、私にそう仕向けたのでしょう。
なので今は、ひざ痛になったことも、ありがたいと思うのです。
なぜならそのお陰で、私は裏方という自分らしい生き方に専念できたのですから。
もうすぐ、11月に行われる第11回の大会の準備が始まります。
主催者による打ち合わせを、来週行うことになりました。
どこまで続けられるかわかりませんが、参加したみんなが楽しめる大会を、これからも続けたいと思うのです。
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