2012年05月14日

人見知り

人見知りする子どもは、けっこう多いと思います。

不思議なのですが、3歳に満たないような子でも、人見知りするタイプと、そうでないタイプに分かれるようですね。

私はもちろん、人見知りするタイプでした。



我が家の間取りは、2階に子供部屋、1階に客間と居間などがありました。

2階から降りる階段は、玄関の正面につながっていて、トイレに行くには、玄関の前を通らなければならない構造だったのです。

たまにお客さんが来られると、たいていは客間に上がらず、玄関に腰掛けて話をします。

中には長時間、玄関で話をするお客さんもいました。


そういう時、2階の子供部屋にいる私は困ってしまうのです。

トイレに行きたい。でも、そのためには玄関の前を通らなければなりません。玄関では、親とお客さんが話をしています。

もちろん黙って通るわけには行きません。「常識がない。」「挨拶もできないのか。」そんな風に非難されることは、目に見えていますから。

「こんにちは。」そう言って通過すれば良いだけなのですが、それが私にはできなかったのです。


田舎では、私が知らないと思っている人でも、私のことを知っていることがよくありました。

「ああ、赤木さんとこの長男さんだね。」

そう、よく言われましたから。

そういうこともあって、たとえ知らない人でも、すれ違ったら挨拶をしなさいと、親から言われて育ちました。

なので通学途中で出会う人には、誰かれ構わずに「おはようございます」「帰りました」と挨拶したものです。

今思うと、帰りがけに出会った見知らぬ人に、「帰りました」という挨拶はいかがなものかと思いますが、当時は言われるがままにそう言っていたのです。


そういうように、通学途中であれば私でも挨拶できます。

それなのに、我が家に訪ねてきた人には挨拶できないのです。

なぜか?


おそらく、引き止められるのが嫌だったのだと思います。

「こんにちは。」だけで済めばよいけど、そうならないことも多かったのです。

「あら、あっちゃんだったかいねえ。大きくなったねえ。」

そんなところから会話に加わらねばならず、それが私が知っている人ならまだしも、私自身は誰だかわからないのです。

それが苦痛で苦痛で。だから、玄関に客がいると、降りていくことができなかったのです。トイレに行きたくても、必死に我慢しました。


やっと客が帰ってトイレに行った後で、よく母親に抗議したものです。

「長話するなら客間に上がってもらってよ。トイレに行けないじゃない。」

すると母親は、何ごともないかのように言うのです。

「挨拶して通ればいいじゃないの。」

それができないからイライラしたいるのに。「このわからずや!」そう、思っていました。


親が知っている客には、自分の良い顔を見せなければならない。

でも、どんな会話をすれば良いのか?何をしゃべったら良いかわからない。

もじもじして、評価を下げるのは嫌だ。

そんな気持ちもあったように思います。

良い子であろうとして、知らず知らずに自分を追い込んでいた子どもだったのです。

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:46 | Comment(0) | ├ 私の生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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