2012年08月07日

自分のことを愛せない理由

よく、「自分を愛せない人は他人も愛せない」ということを言います。

本当は他人を愛することが重要なのですが、その前提として、自己愛がなければならないというわけです。

たしかに、自分すら愛せない人というのは、自分を大切にできないわけですから、他人を大切にできるわけがないと言えるでしょうね。


たとえば、「どうせ自分なんて」と自己卑下する人は、まさに「自分を愛せない人」です。

そういう人は一見、他人の価値は認めているように見えます。自分はNGだけど他人はOKだと考えているように見えます。

しかし実際は、そうではありません。そういう人は、他人をうらやんで嫉妬したり、妬んだりするものです。


なぜなら自己卑下というのは、「私のことを認めてほしい」という気持ちの裏返しだからです。

本当は認めて欲しいけれど、そう言ったときに否定されるとつらい。だから最初に、自分で自分の価値を否定して見せているだけなのです。

そのため、「そうだよ。あなたなんて大したことないよ。」と同調されると、かえって腹が立ちます。

表面上は同意してくれたのだから喜ぶべきですが、自己卑下する人の本心は別なので、同意されると自分が否定された気持ちになるのです。


こういう自己卑下する人が必要としている他人とは、その人の価値観で判断してくれる人ではなく、自分を認め愛してくれる人だとわかります。

つまり、愛してくれる人は自分にとって価値があるけれど、愛してくれない人は価値がないと思っているのです。

したがって、そのままの他人の価値を認めているわけではないのです。

それは、他人を大切にしていないということですよね。だから、自分を愛せない人は、他人を大切にできないのです。



ではそういう人は、どうして自分の価値を認められないのでしょうか?どうして自分を愛せないのでしょうか?

それは、心に不安があるからです。

その不安を抱えるようになった理由は、まだ子どもの頃、しっかりと愛されなかったからです。


愛するということは、そのままでいいんだよと認めることです。ただ存在するだけで素晴らしいのだと評価することです。

しかし考えるまでもなく、ほとんどの人はそういう目で子どもを見ません。

何か間違ったことをするんじゃないか、悪いことをするんじゃないかと心配し、正しく生きられるように導こうとします。

一見、それは正しい行為のように見えますが、愛かどうかという観点で見るなら、それは愛ではないと言わざるを得ません。


「正しく生きられるように」と言う時の「正しく」とは、いったいどういうことでしょう?

これは何らかの価値観ではないでしょうか?

つまり、大人が自分の価値観を子どもに押し付けようとしているだけなのです。

本当は価値観は人それぞれなのに、それを無視して一方的に自分の価値観を押し付けています。

だから子どもは、「自分の価値観で判断してはいけないのだ」と思うようになるのです。

それはつまり、自分は「自分の価値観で判断することもできない価値のない人間である」ということを、受け入れることを意味します。



「そうは言っても、大人の目から見れば間違っているとわかっているのだから、そういうことをさせないようにするのが子ども幸せにつながることじゃないの?」

そう言いたい気持ちはわかりますが、そこが違うのです。


たとえば赤ちゃんが熱くなっているストーブを触ろうとします。赤ちゃんは何でも興味があるから、触りたいのです。

でもお母さんは、火傷をして泣き叫ぶ赤ちゃんの未来がわかるから、あわててやめさせようとします。

時には怒鳴りつけたり、手を叩いたりするかもしれませんね。

すると赤ちゃんは、ストーブを触ることはお母さんを怒らせることだと理解します。

つまり、お母さんがダメということをしようとすると、お母さんは自分を愛してくれなくなると思うのです。


こういうことが繰り返されると、赤ちゃんはお母さんに依存するようになります。

お母さんから愛してもらうためには、お母さんに逆らってはいけないと学習するのです。

自分が触りたくないからストーブを触らないのではなく、お母さんから愛されたいから触らないのです。

「本当は触りたいのに。」その気持ちは心の奥底に抑圧されるのです。



もしお母さんが本当に赤ちゃんを愛するなら、赤ちゃんの価値観を大切にするでしょう。

少なくとも、怒鳴ったり叩いたりして、赤ちゃんを怯えさせるようなことはしないはずです。

ストーブに触ってほしくないのは、赤ちゃんが火傷をしないようにするためです。

それならまず触れるようなところにストーブなんて置かないこと。

あるいは軽く触らせて、熱いということをわからせれば良いのです。

そうすれば赤ちゃんは、熱くて不快だと感じますから、触らなくなるでしょう。


心配する気持ちはわかりますが、もっと失敗するチャンスを与えることです。

大人からすれば失敗するとわかっていても、あえてそれをさせること。

そうすることで赤ちゃんは、体験から学ぶことができます。

そうやって赤ちゃんなりの価値観を育ませることが、本当の意味で愛することなのです。



おそらくほとんどの人が、多かれ少なかれ愛されずに育ったはずです。

それによって心に不安を抱えるようになりました。

その不安が強いと、自分を愛せなくなり、結果として他人を愛せなくなるのです。


しかし、大人になった今、周りの誰かから愛してもらう必要性はありません。

子どもの頃に愛されなかったからと言って、手遅れではないのです。

自分で心にこびりついた不安を取り去り、愛情で満たすことができます。

そうやって自分自身をメンテナンスすることが大切なのです。

しっかりとメンテナンスをして、自分を愛せる人になりましょう。

そうすれば、他人を愛せる人になれますから。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:50 | Comment(4) | 幸せ実践塾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
愛するって、手の届かないところにストーブを置くこと?
触らせて、ストーブが熱いことを分からせること?
私は今なら何故母が怒ったかを理解できます。
自分の望む方法で愛されなかったとしても、母なりの方法で私を精一杯愛してくれていたんだなぁと思えます。
愛されなかったなんておこがましく、私はいつだって愛されてたんです。
それを理解することを、私は心の底で望んでいたみたいです。
このブログを昨日見つけて、さかのぼって見させて頂いています。
いろんなことに気付けて、楽しいです!
ありがとうございます♡
Posted by 花 at 2013年02月09日 10:30
> 花さん

コメント、ありがとうございます。
お母さんの愛に気づかれたとのこと。良かったですね。


> いろんなことに気付けて、楽しいです!

そう言っていただけると、本当に嬉しいです。

私の意見が絶対に正しいなどということはなく、またそう言うつもりもありません。
これは私の真実だと言うだけです。
それを読まれて、それぞれの方が、それぞれの真実に気づいてくださると、本望だなあと思いますね。

また何かありましたら、遠慮なくコメントでもメールでもくださいね。
Posted by 赤木 (幸せ実践塾塾長) at 2013年02月09日 16:19
初めまして、だいぶ前の記事だと思われますが、
自分を変えたくて調べていたときに赤木さんのブログに辿り着きました。
まさに私にぴったりのお言葉でした。

私は自分に自信がなく、他人の長所を探すのがうまいと思っていました。
ですが本当は悔しくて、どうして私にはできないんだろうってまた悲しくなって。
私自身は周りを尊敬の気持ちで見ていると思っていたのに、
思わぬ本音を突かれて心が揺れています。

私は親の強制的な教育もそうでしたが、
学校でいじめにあったことが今の思考の原因ではないかと考えています。
周りにいつでも合わせないといけなくて、認めてみらえるように必死でした。
個性というものを育てようと考えたこともありませんでした。

私を愛してくれる人、認めてくれる人が好きで、
少しでも冷たくされると、この人変わってしまったのかなといらいらします。
最近は心に不安が多く、仲の良かった友達にさえいらいらしてしまいます。
結局愛してくれる人、しか愛せないのは、
これから生きていくうえで間違っていると思います。
自分を変えたい気持ちは大きいです。
自分の長所も短所も認めて愛してあげたいです。。

Posted by サラ at 2013年03月03日 23:10
> サラさん

こんにちは、赤木です。
コメントをくださって、ありがとうございます。

ご自身のこと、しっかりと分析されてますね。
その気付きが最初の一歩になります。

今までは、単に「相手が悪い」という思いしかなかったはず。
でもそうではなく、原因は自分にあったと気づくことで、変えることが可能になるのです。

なお、原因が自分にあるということと、自分が悪いということは、同じではありません。
前者は事実関係ですが、後者は価値判断です。
価値判断は見方次第、考え方次第でどうにでも変わります。

進化(変化)への第一歩、おめでとうございます。
いつか、サラさんをいじめた人に対してさえ、感謝できる日が来るでしょう。
そうなったとき、加速度的に自分自身が変わっていくことに気づくはずです。

もう後戻りはできません。
進むことが楽しくて仕方ないから。
生きることが、自分らしさを表現することが、楽しくて仕方ないと感じるようになるでしょう。
誰にも、何ごとも、サラさんの幸せを奪うことはできないと、確信する日が来るでしょう。
不安も恐れもない境地が、もう目の前にあります。
Posted by 赤木 (幸せ実践塾塾長) at 2013年03月04日 13:28
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。

ランキングに登録しています。面白かったらボタンをポチッと押してね。
↓↓↓↓
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分らしさへ