2012年07月29日

生命の尊さを考える

生命は、とても尊いものです。

おそらく、この言葉に反論する人はいないでしょう。


けれども、総論賛成、各論反対というのが世の常です。

具体的に言いましょう。



生命が尊いと言いながら、どうして戦争をするのでしょう?

いんやく・りお君は、その疑問をアメリカ大統領に問いたいと言います。

「われわれは平和のために戦争をする」という大統領に対して、「戦争したら平和じゃなくなるでしょ。」と言うのです。

「自分をえらんで生まれてきたよ」 (p115)


殺人を起こさせまいとして殺人を行う。

それは、どちらかの生命が尊くて、どちらかの生命は尊くないと考えているからではないでしょうか?

死刑廃止を訴える世論があり、世界は死刑廃止に向かって動いています。

しかし日本では、裁判員裁判によって逆に死刑が増えているとか。


最近、いじめに関する報道が多いですが、中には加害者の実名などをブログに掲載し、私的に刑罰を加えようとする動きもあります。

いじめを憎んで加害者をいじめる。

もし、そのいじめによって加害者が自殺しても、それは自業自得だと言う。

自分がいじめの加害者になっていることも気づかずに。




私はこのことを、良いとか悪いとか言っているのではありません。

ただ、「生命は尊い」と、多くの人は口にするけれど、本気には考えていないという事実を指摘しているだけです。

本当は、「私の生命は尊い」のであり、「私が好きな人の生命は尊い」だけだと思うのです。



新約聖書のマタイによる福音書第5章46-47節には、以下のように書かれています。

「あなたがたは自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけにあいさつしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。」

新約聖書(インデックス)より



愛するということは、全てです。一部だけ愛するなどということはありません。条件付きの愛などというのは、その言葉からして矛盾しているのです。

あの生命は尊いと思うけれど、この生命は尊くない。もしそう考えるなら、それは生命を尊いとは思っていないのです。

そうやって別け隔てをする考え方を変えないから、世の中はいつまでたっても、今のようなままなのではありませんか?


平和を祈りながら戦争を繰返す。犯罪のない世を望みながら死刑を繰返す。いじめをなくしたいと思いながらいじめを繰返す。

それはすべて、本当の意味で愛さないからです。

本気で愛する覚悟を持とうとしないからです。

「すべてはひとつのもの」という本質を受け入れないからです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:42 | Comment(0) | 幸せ実践塾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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