私には、まだ子どもはいません。
そのこと事態は、別に残念でもないし、悲しくもありません。
実際の子どもはいませんが、精神的な子どもというのはたくさんいます。
海外の貧しい家庭の子どもの「あしながおじさん」 として、経済的な支援をしてきましたから。
その中には、先日の記事で紹介したジンタナーさんという、先天的な心臓と肺の障害と闘って生きた女性 もいます。
そう言えば、「自分をえらんで生まれてきたよ」 という本の、いんやく・りお君も、心臓と肺に障害があったのでしたね。
また、あるフィリピンの子で、10歳くらいから18歳くらいまで支援した子がいました。
高校を卒業したので支援は終わり、それ以降はまったく連絡をとっていませんでした。
それは私が、「支援者は忘れ去られるべき」という考えを持っていたからです。
支援者から会おうとすれば、支援を受けた側は重荷に感じるかもしれません。
恩着せがましく思われて、返って負担に感じられることもあるからです。
また支援された側から会おうとすれば、それは依頼心を呼び起こすことにもなりかねません。
支援が終わった後も、けして楽な人生ばかりじゃないでしょう。
そんなときに昔の支援者に会えば、弱い自分が表に出てしまうこともあるからです。
そんなある日、私のFacebookページに外国人からの友達申請が来たのです。
名前を見るまでもなく、私に外国人の友だちはいません。(タイ人を除いて)
それでしばらく無視していたのですが、ある日、ふと思い出したのです。
「あの名前、ひょっとしたら昔の里子?」
私は資料を引っ張りだして調べました。里子の資料は、すべて保管してあります。
いえ、本当はその子の名前は覚えていました、写真もずっと、システム手帳に入れてあったのです。ただ、名前の綴りを確認したのです。
やはり、その子でした。私の情報など、おそらく名前しかなかったはず。私の顔さえ知らないはずなのです。
おそらく、Facebookの検索で調べたのでしょう。
私は想像してみました。
彼女が、どんな思いで私の名前を打ち込み、検索したのかを。
涙が溢れてきました。
「忘れずにいてくれたんだ。」
それが嬉しかったのです。
しかし、友だちになるのは、その後もしばらくためらいました。
なぜなら、先ほども書いたように、支援者は忘れ去られるべきだからです。
心の中の「あしながおじさん」であり続ければいい。現実に現れたら、彼女を頼らせてしまうかもしれない。
だから、彼女とわかってからもしばらく、私は友だち申請を受けなかったのです。
けれども、精神的な里子とは言え、8年間も支援を続けた子です。
毎年送られてくる成長の記録を読み、「身長が伸びたなあ」とか、「顔が大人びてきたな」などと、微笑ましく思ってきたのです。
無事に生きていてくれた。それが嬉しかった。そして、私のような人間でも、忘れずにいてくれたことも。
2週間前に写真で紹介したベランダの鳩のヒナ ですが、さすがに大きくなりました。
成長してみると、羽の色がそれぞれ違うことがわかります。
もう親鳥はおらず、ヒナたちだけでお留守番です。
夜になると、親鳥の1羽は、写真の右側にあるエアコン室外機の上で見張りをしています。
おそらくお父さんなのでしょう。
姿は見えませんが、おそらくお母さんは巣の中で、ヒナたちと一緒にいるはず。
鳩もまた、子どもたちの成長を、微笑ましく思っているのでしょうか。
生命というのは、それだけで素晴らしいものです。かけがえのないものです。
そう、感じさせてくれるのです。
2012年07月28日
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