野口嘉則さんのアシュタバクラの話を紹介しました。
その中でアシュタバクラは、何を問われても「起こることは、すべて最高のことでございます。」と答えたとありました。
それによって、悪いことのように見えた出来事が、実は最高に良いことだったという話です。
私はその話に対して、「最高のことだ」と信じていたから、それが起こったという見方は違うと書きました。
そうではなく、出来事はすべてニュートラルで、それが良いか悪いかの意味付けをするのは、それぞれの人が勝手にやることなのだと。
実はこれ、どちらも正しいと思います。
前言をひっくり返して申し訳ありませんが、そう信じたからそういうことが起こる、ということも言えるのです。
なので、「引き寄せの法則」が言うように、絶対に良いことが起こると信じることは重要です。
ここで言う「信じる」とは、単に「希望する」とか、「願う」ということとは違います。
むしろ、「知っている」とか「決める」に近い意味です。
絶対に最高のことが起こると知っていたら、ワクワクしますよね?
ワクワクせずに、少しでも疑う気持ちがあるなら、それは信じたとは言えないのです。
しかし、私もそうですが、本当に最高のことばかり起こるなんて信じられますか?
おそらく信じられないでしょう。
せいぜい、「禍福はあざなえる縄の如し」ではありませんが、半々くらいと信じられたら良い方かと。
つまり、凡人がそれを信じきるというのは難しいのです。
そこで工夫が必要になります。
それが、「起こることはすべて最高だ」と決めてかかれる理由を見つけることです。
それが、先ほど言ったことになります。
つまり、「最高のことが起こる」と信じるのではなく、「起きたことをすべて最高だ」と決めるのです。
何が起きるかに関係なく、ともかく起こったことを「最高だ」と受け入れるのです。
そして実際、それは妥当なことです。
なぜなら、出来事には意味がなく、ニュートラルだからです。
その意味を決めているのは、それぞれの人。
だから自分が自由に、好きなように意味を与えれば良いのですから。
「それじゃあ単に、自分を欺いているのと同じじゃないか?だって、嫌なことが起こっても、悪いことだと考えるなってことでしょう?」
その通りです。
と、説明することもできます。
だってそうじゃありませんか。
夏の暑い日に、「暑い暑い」と言ったら、何か得をしますか?
もし「このくらい暑くてちょうど良かった」と言う方が得するなら、そう言った方が良いに決まっているじゃありませんか。
また別の説明もできます。
実際、良いとか悪いとかいうのは、相対的なものです。
相対的というのは、どこかに基準を定めるから、それよりも上があり、また下があるだけなのです。
その基準をどこに置こうと、それはそれぞれの人の自由じゃありませんか。
どうして過去の状態とか、周りの人間とかに、基準を合わせる必要があるのですか?
おそらく無意識に基準を決めているだけで、その問いに答えられないでしょう。
だから、これからは意識して生きることを提案するのです。
そうやって自分が主体的になって生きるようになると、出来事に翻弄されずに生きられるようになります。
そうなったとき、思った通りの現実を創りだす(引き寄せる)ことができるようになるのです。
結局、鶏が先か卵が先かの議論と同じで、だちらが先でも、片方ができれば、もう片方もついてきます。
すべては、同じことなのです。
2012年07月27日
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日ごろから、ついてると思っていると、電車を乗り過ごしても、本をもう少し読む時間ができた、とか、プラス思考ができます。
ついてると思っていると、ついてたいないできごとが起こるのではなく、ついてないできごとも、万人に降りかかりますが、それを「ついているようにとらえるマインド」が備えられるんですよね。
あー勉強になった、とか。
今日は猛暑でしたが、おかげでたくさん汗をかいてダイエットでき、ビールも美味しかったし、川の水も冷たかったし、日焼けもタダでできました☆
>【広瀬つみき】2・3歳の子育て専門★幼児教育アドバイザーさん
最初に決めることです。決めるとは、知ってるということ。だから現実になるのです。