「鏡の法則」で有名な野口嘉則さん が、毎週のようにFacebookに面白い話 を載せています。
興味のある方はFacebookに登録し、野口嘉則さんのフィードを購読すると良いでしょう。
さて、昨日の話ですが、明日葉のおひたしの写真とともに掲載されていましたね。
野口さんは、それをよく食べるそうです。
そしてそのとき、いつも思い出すということで、アシュタバクラの話を紹介してくださったのです。
ちょっと内容をかいつまんで書きますね。
昔、インドにジャナカ王というのがいて、家臣のアシュタバクラを大変重用していたそうです。
アシュタバクラは王様から意見を求められた時、いつも「起こることは、すべて最高のことでございます。」と答えたのだとか。
ある日王様が手に怪我をしたときも、「これをどう思うか?」と尋ねられたのに対し、同じように答えました。
それで王様は自分の不幸を喜んでいると思って、彼を投獄したのです。
その日、王様が狩りに行った時、人喰い族につかまってしまい、生贄として火あぶりにされそうになりました。
しかし手に怪我をしていたため、神聖な捧げ物に使えないとされ、放免されたのです。
王様は城に帰ると、すぐにアシュタバクラを釈放し、自分の非を詫びたのだとか。
するとアシュタバクラも、王様に言ったそうです。
「起こることは、すべて最高のことでございます。もし私が投獄されていなければ、王様と共に狩りに行って捕まり、怪我をしていない私が生贄にされたことでしょう。」
このような内容だったのですが、みなさんはどう思いますか?
起こることは、すべて最高のことだと信じきることができれば、良い出来事が起こる。
そのように、「引き寄せの法則」 的に捉える人が多いのではないでしょうか?
私は、そうではないと思うのです。
王様は城に帰った後、「今日はなんて最悪の日なんだろう」と考えることもできたはずです。
さらに、「それもこれもアシュタバクラが自分の不幸を喜んだことが発端だ。」と、逆恨みすることもできました。
そうすればアシュタバクラは解放されないばかりか、処刑されたかもしれないのです。
出来事は常にニュートラルなのだと思います。
そこにどのような意味を与えるかは、それぞれの人の自由です。
ですから、「これは最高の出来事だ」と考える人が、そういう出来事として体験するのです。
アシュタバクラは、仮に釈放されなかったとしても、いつものように「これは最高のことだ」と言ったでしょう。
なぜなら彼は、そういう見方しかしないと決めていたからです。
彼の心は自由で、出来事の影響を受けなかった。
自分が考えたいようにしか考えなかったと思うのです。
2012年07月27日
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いつもお話がどうしてこんなに楽しいんでしょうか???
良いお話。しみじみと良いお話。有り難うございます。
タイでもソフトボールがあるんですね。
楽しそうな笑顔で、見るだけで気持ちいいです。
>going.my.wayさん
コメント、ありがとうございます。
喜んでいただけて、私も嬉しいです。
今回の記事は、野口嘉則さんの話があまりに素晴らしかったので、紹介させていただきたくなったのです。
ぜひ、野口さんのFBページもご覧になってください。
私も、まさかソフトボールができるなんて思ってもいませんでした。
膝を痛めてしまって思うように走れませんが、みんなと一緒に楽しんでいます。
不幸になっているヒマがない、ということもありますよ。
学校を中退しても、前を向かなきゃ次にいけませんし、会社が倒産しても、クヨクヨしてる間に就職活動をすれば、すぐに転職が決まります。
最近身内に起きたある事件でさえも、
「いよいよ俺の時代がきた」くらいのノリでノリ切りました。
さすがに、暴漢にやられるとか、犯罪に巻き込まれるような、不可抗力的なのさものに対してまで、プラスの気持ちでいられるかどうかは、ちょっと怪しいですが。
>【広瀬つみき】2・3歳の子育て専門★幼児教育アドバイザーさん
必要なら起こります。必要でなければ起こりません。だから、起こったことを必然と決めることです。そうすれば、人生を変える力を手にできます。