2012年07月25日

反省と罪悪感はまったく違います

昨今は、あちこちで「反省しろ」とか「まったく反省の色が見えない」などと、他人に反省を求める声が聞かれます。

こういうとき、「反省」という言葉を使いながらも、実は別の意図を持っているのではと感じることが多々あります。


それはどういうことかと言うと、「誠意のある謝罪」を求めていると思われるからです。

「それが本当に反省した、ということなんじゃないの?」

そう思われるかもしれませんね。

でも私は、「誠意のある謝罪」と「反省」とは別のものだと思うのです。



「反省」というのは、自分が関係する出来事を振り返り、間違ったところを洗い出して、次からは間違いをしないようにしようと決めることです。

謝罪するかどうかは、まったく関係ありません。


それに対して、一般的に「反省の色が見えない」などと言う時は、相手に謝罪を求めています。

しかもそれは、心からの謝罪でなくてはなりません。つまり、「誠意のある謝罪」をすることを「反省」と表現しているのです。


「誠意のある謝罪」と言えば聞こえがいいですが、要は「罪を認めろ」と言うことです。

「罪悪感を抱きなさい」と言うことです。

「私はとんでもないことをしました。どんなに詫びても取り返せないひどいことをしてしまいました。申し訳ありません。」

そう泣きながら詫びることを求めているのです。


「それのどこがいけないと言うの?だって悪いことをしたんでしょう?」

そう思われるとしたら、人のことがまだよくわかっていませんね。

「盗人にも三分の理」ということわざがあります。

戦争はいつだって互いに正義の戦争です。

誰もがみんな、「自分は正しい」と思って行動するのです。

あるいは、「仕方がないよ」と思って行動するのです。

だから一方的に悪と断罪されれば、反発してしまうのです。



それなのに、一方的に悪いということを認めろと迫っています。

だから迫られた方は、形だけ取り繕うことになります。それが透けて見えると、「誠意がない」ということにされてしまうのです。

そして、見た目が「誠意のある謝罪」に見えるかどうかが重要視され、本当に反省したかどうかが軽んじられます。

その結果、同じことが繰り返されるのです。



罪悪感というのは、自分には価値がないと認めることです。

そんなこと、普通は認められるはずがありません。

どんな極悪人だって、自分にも少しは正義があると思ってやっているのですから。


本当の意味で反省しないと、間違いを正すことはできません。

そのためには、罪悪感を抱くことや抱かせることは、百害あって一利なしだと思うのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:10 | Comment(0) | 私の考え | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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