それは以前にも書いたように、1日2冊のペースで読むほど。
私の国語力は、この読書によって鍛えられたと思っています。
そんな本好きの私ですが、苦手なものがありました。
それが読書感想文です。
普通に作文なら、得意とは言わないまでも、なんとか書くことができます。
けれど読書感想文になると、急に困ってしまうのです。
それは、書き方がわからないから。
まず私の読書感想文を読む人は、それによって本を知るわけです。
つまり、私とは前提が違っています。
したがって、本の内容に触れないわけにはいかないと思ってしまうのです。
たとえば作文なら、「今日は家族と海へ行きました。」みたいな、状況説明が入りますよね。
それと同じように読書感想文でも、「主人公は・・・した。そのあとで、主人公は・・・だと思った。」というように、ある意味で本のあらすじを書くことになるのです。
そして最後に、「おもしろかったです」とかの貧相な感想を書くスタイルになりがち。
これが、どうも嫌なのです。
これはおかしい。これは美しくない。
そう感じるのに、どう書いて良いかわからず、書くのが苦手になってしまったのです。
あれはたしか小学校4年か5年のころだったと思います。
また読書感想文の課題が出されました。
長文の本は、あらすじを書くのに困るので、私が選ぶのはいつも短い内容の本です。
それで、この本を選びました。
「ゴータマ・シッダールタ太子」
おわかりの方もいらっしゃるでしょう。
出家する前の釈迦の名前です。
王子として生まれ育ち、何不自由のない生活をしていたシッダールタ太子です。
それが街に出た時、庶民の苦しみを目にします。
それからは、いつもそのことが頭から離れません。
人々には、生・老・病・死という4つの大きな苦しみがある。
この苦しみを、何とか取り去ることができないだろうか?
シッダールタ太子は悩んだ末、王位継承権も妻も子も捨てて、出家するのです。
私は、どうしてこの本を選んだのでしょうか?
その記憶がまったくありません。
ひょっとしたら偉人伝のコーナーにあったのかもしれませんけど、そらなら本のタイトルは「釈迦」とか「釈尊」ですよね。
それと、どんな感想を書いたかも覚えていません。
きっと当り障りのないところで、「すごい人だと思った」くらいのことを書いたのでしょう。
記憶にあるのは、こんな不思議なタイトルの本を選んで読んだということ。
そして、おそらくこれが、私にとって最初の、仏教教義との出会いだったと思うのです。
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