大器晩成という言葉があります。
出典は老子です。
大人物というのは、すぐに頭角を現さないものだということです。
その言葉にピッタリの人物が、太公望呂尚(たいこうぼう・りょしょう)です。
太公望という言葉は、釣り人の代名詞として使われます。
それは、次のようなエピソードによるものです。
昔、呂尚が川の畔で釣りをしていると、そこに周(国の名前)の文王が通りかかりました。
「釣れますかな?」と声をかけたかどうかは知りませんが、2人は話をすることになりました。
驚いたのは文王です。
ただの老人(80歳ぐらいだったとも言われる)と思われた人物が、世界情勢や政治、戦略などに関して深い知識と見識を持っていたからです。
文王は思いました。
「これぞまさに太公(祖父)が待ち望んでいた人物に違いない。」
文王の祖父は、いつか素晴らしい人物が現れて、周を助けてくれると言っていたのです。
文王は、礼を尽くして呂尚を迎え入れました。
呂尚は軍師として文王とその子の武王に仕えたのです。
太公(祖父)が望んでいた人物だから太公望と呼ばれたという逸話です。
他にも、「覆水盆に返らず」という話も、この太公望の逸話です。
うだつがあがらない亭主を見限って、離婚した元妻が、出世した呂尚の元を訪ねて、復縁を懇願しました。
呂尚は盆に張った水を床にこぼし、こぼれた水を盆に戻してみろと言ったそうです。
それができたら復縁を認めようと言うのです。
元妻はなんとか手で水をすくって盆に戻そうとしますが、こぼれた水は床に広がり、地面に吸い込まれ、戻すことができません。
呂尚は言いました。
「一度こぼれた水が盆に戻ることはない。それと同様に、私たちの関係も元に戻ることはないのだ。」
カッコイイというより、ちょっと陰険という気もしますけどね。
ご都合主義の元妻に、愛想を尽かしたというところでしょうか。
それはさておき、この呂尚は、どうしてのんびりと釣りなどしていたのでしょうか?
けして出世を諦めていたわけではないのです。
若いころから日々研鑽し、知識を蓄え、見識を磨いていました。
就職活動をどれだけやったかはわかりませんが、それほど熱心ではなかったのでしょう。
おそらく、「いつか必ず見出される」という自信を持っていたのではないでしょうか。
その自信があったから、悠々と釣りを楽しんでいられたと思うのです。
世の中には、努力に努力を重ねても結果が出ないことを気にして、今を楽しめずにいる人がたくさんいます。
そういう人は自信がないのです。
自信とは、自分を信じること。
自分の素晴らしさを信じることです。
「必ずや自分の素晴らしさを体験する機会が与えられるに違いない。」
もう間近に死を感じるようになってさえ、呂尚はそう信じて疑わなかったのだと思います。
その信念が、大器の花を咲かせたのです。
努力しても結果が出ないと言って、投げやりになってしまう人がいます。
そういう人は、本当にもったいないと思いますよ。
もっと自分自身を信じてあげてください。
就活が上手く行かなくても、そんなことでへこたれないことです。
自分を採用しなかった会社は、大した会社じゃないと思いましょう。
また、会社に採用されなかったがために、他の人生(起業など)に進まざるを得なくなったということもあるでしょう。
そして実はそれこそが、自分が望んだ人生だったりします。
魂は、あなたに最適な人生を歩ませるために、様々な出来事を起こすのです。
だから言うのです。
「人生において起こる出来事は、すべて必然で無駄がない。」
あなたがあなた自身を信じるなら、人生は必ずやあなたに応えてくれるでしょう。
人生は、そんなふうにできているのです。
2012年07月21日
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