2012年07月19日

交通事故を起こすたびに考えてきたこと

私はこれまで、何度も交通事故を起こしてきました。

人身事故を起こした こともあります。
(※責任の所在については明確ではありませんが。)


オートバイで後ろに姉を乗せ、隣の家の玄関に突っ込んで玄関を壊したこともありました。

2スト(ヤマハDT125)でトルクが弱かったので、少し吹かし気味でクラッチをつないだら、おそらくウイリーしてしまったのです。

私もわけが分からず、制御不能になって突っ込みました。

あのときは、後始末を全部親に任せてしまいました。本当に恥ずかしい限りです。


また、車に乗ってバックしようとして、他の車にぶつけたこともありました。

あわてて逃げようとしましたが追いかけられて、結局お詫びをすることに。

お金がない貧乏学生だったので、損害賠償請求されるのが怖かったのです。

それにしても逃げるとはひどいやつです。


バイクに乗っていて、前を走る車やバイクに追突したこともありました。

前の車が急ブレーキをかけたためです。

しかし、悪いのは後続車ですから、私が弁償することになりました。



そんな事故を数え上げてみると、おそらく10件以上あったと思います。

そして事故を起こした時に思うことは、いつも「これをなかったことにできないだろうか?」という考えでした。

だから、逃げられるものなら逃げたかったのです。

誰も見ていなければ、自分が責任を追求されなくて済む。そう考えたのです。


何がそんなに怖かったかと言うと、さっきも書いたように、まずはお金です。

わずか数万円だとしても、それが非常に惜しかったのです。

おそらく払おうとして払えない金額など、想定していなかったはず。

それでも、自分が自由に使えるお金が減ってしまうことが、とても大きなことのように思えたのです。


それともう一つは、私が悪いと責められることから逃げたかったのです。

私が悪いことをするということが、受け入れがたかったのです。


私は本当に完全主義者でした。

ですから、100%確実にできると思えなければ、何もやらなかったのです。

何もやらなければ、絶対に失敗はしませんから。

それくらい、失敗することや、間違ったことをすることが怖かったのです。



タイでは、バスが人身事故を起こすと、運転手が逃げるというのが相場になっています。

いや本当の話です。たいていは逃げます。

そういうものだとみんなも認識しているので、たまに逃げなかった運転手がいると、「運転手は逃げませんでした」と報道されます。

ネタじゃありませんよ。本当の話ですって。

そんな運転手に対して、私は親近感を覚えます。

もし私がタイで運転手をやっていたら、きっと同じことをしただろうなと。


もちろん今は違います。

と言っても、逃げるような状況が発生していないのでわかりませんけど、多分逃げないだろうと思います。

なぜなら、人生において起こることはすべて必然で、意味があるとわかっているからです。

事故を起こしたとすれば、それは起こす必要があったのです。

そして、それを体験することによって、自分の課題をクリアできるのです。

もしそういう状況が起きても、「どうするのが自分らしいことなのだろうか?」と、自分に問うようにしたいと思っています。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:09 | Comment(0) | ├ 私の生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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