2012年07月18日

感情に従うことと感情に踊らされることの違い

私は理系の人間で、何でも理屈で考える癖があります。

子どもの頃から「なんで?」と尋ねるのが癖で、周りの大人からは煙たがられたものです。

そりゃそうでしょう。理屈で考えずに行動していることって、けっこうありますからね。

そんなことを理詰めで説明できるわけがありません。

とまあ、大人になってみると、そういう気持ちもわかります。


ただ、いくら理詰めで考えるからと言って、私が感情のない冷徹人間というわけではありませんよ。

むしろ逆だと思っています。

私は涙もろく、テレビドラマを見てもよく泣くので、妻からも笑われるほどです。

自分でも、感受性が豊かな方だと思っています。


それに、私は感情の重要性も理解しています。

それは以前にも書いたように、感情は魂の声だと思うからです。

魂は感情によって、どうすることが良いかを教えてくれるのです。



よく、感情を制御するのが大人だと言われます。

子どもはすぐに感情的になって怒ったり泣いたりするけれど、大人はなるべくそういう感情を見せないものだという考えなのでしょう。

私は、それは少し違うと思うのです。

感情は制御するのではなく、感じるだけで良いと思うからです。


感情を制御するという表現は、たとえば怒りを感じた時、その気持ちを外に出さないということになります。

でもそうやって感情を抑え込むと、ストレスが溜まります。

そのたまったストレスは、健康面など、いろいろなところに悪影響をおよぼすでしょう。

感情を抑え込んではいけないのです。

湧き上がった感情を受け止め、感じ切ることが重要だと思います。



ただそのことと、感情に突き動かされて衝動的に行動することとは、まったく意味が違います。

それは感情に踊らされているだけなのです。


どういうことかというと、たとえば怒りの感情というのは、対象がありません。

重要だからもう一度言いますね。

怒りの感情には対象がありません。


怒りの感情は、魂のこんな言葉を表しています。

「そうじゃないんだよ。」「愛が足りない。」「不安なんだ。」

そういう気持ちを怒りの感情として感じるのです。

そこに、こんな考え方(価値観)がくっつきます。

「この状況が生まれた原因は相手にある。」「だから相手が何とかしなければならない。」「悪いのは相手だ。」

感情と考え方がくっつくことで、相手を非難したり責める気持ちが生じるのです。


それが証拠に、見方(考え方)を変えれば、怒りの感情というのはスーッと消えていきます。

たとえばあなたが、少女のスリに財布をスられたとしましょう。

スられたのは間違いないけれど証拠がありません。

「ちくしょう、絶対にあいつに間違いない。ぶん殴って吐かせてやろうか!?」

怒り心頭に発する状態になるかもしれません。

少女の後をつけていくと、掘っ立て小屋のような家に入って行きました。

そっと外から中を伺うと、病気で寝込んでいるような母親を、少女が一所懸命に看病している姿がありました。

スリでもしなければ生きていけない。大好きなお母さんのために薬を買うこともできない。そういう少女の境遇がわかったのです。


あなたはまだ、少女をぶん殴りたいですか?


おそらく怒りは収まり、少女に対して同情する気持ちすら湧いてきたでしょう。

スられたという事実は変わりません。けれどそこに、「少女にもそうせざるを得ない理由があったのだ」という考え方が加わったのです。



感情は、自分自身に対する魂からのサインです。

その考え方が自分らしいかどうかを教えてくれているのです。

だから感情に従うというのは、その魂の声をよく聞いて、どうすれば魂が喜ぶかを考えて、自分の考え方を変えることだと思います。

感情に従うということと、感情に躍らされるということは、まったく正反対のことなのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:45 | Comment(0) | 私の考え | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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