誰かと仲良くなりたかったら、あなたならどうしますか?
たとえば相手が、まったく見知らぬ人だったら。
あるいは、ケンカして仲違いした相手だったら。
どんなときでも、相手の関心を買って仲良くなる方法があるのです。
もちろん100%成功するとは言いませんけど、かなりの確率で成功するはずです。
なぜなら、歴史が証明しているからです。
まずは旧約聖書にその記述があります。
創世記の24〜33章に書かれた兄エソウと弟ヤコブによる長子権の争いの物語です。
弟ヤコブは、兄エソウを騙して長子権を奪ってしまいます。
これにより、エソウはヤコブを殺そうとまでしますが、ヤコブは逃げて難を逃れました。
その後、約20年ほど経ってからヤコブは、兄との和解に向かいます。
その途中で、以前にお話した天使と組討ちしてイスラエルとなる話 があります。
ヤコブは、まず使者を立て、牛、ろば、羊、奴隷などをお届けしたいと申し出るのです。
そして実際に会うまでに、それらを数段階に分けて先に行かせ、エソウに対して、「これは僕(しもべ)であるヤコブからご主人であるエソウ様への贈り物だ」と言うように、召使に言い含めます。
最後に対面しますが、その時も遠くで姿がかすかに見えたところから地にひれ伏し、また前に進んではひれ伏すというように、7回もひれ伏したと言います。
そのようにヤコブは絶対恭順の態度を示しました。
それにより対面のときは、エソウからヤコブの元へ走りより、抱き締め、口付けし、泣いて喜んだのです。
この話から得られる教訓は3つです。
相手と和解したければ
1.相手に考える時間を与えること
2.絶対恭順の態度を示すこと
3.贈り物を贈ること
だということです。
物で気持ちを釣るように見えるかもしれませんが、そうではありません。
その物の背後にある、「あなたと仲直りしたい」という気持ちに、人は心を打たれるのです。
次に、日本の逸話を見てみましょう。
本能寺の変で主君・織田信長を討った明智光秀は、中国大返しの離れ業で駆けつけた豊臣秀吉によって討伐されてしまいます。
その後、織田家の世継ぎを巡って、織田の家臣団は分裂します。
もっとも有力なのは、光秀を討伐した秀吉でしたが、それだけでは信長の家臣全員の信頼は得られません。
古参の柴田勝家などは、新参の秀吉を嫌っていたからです。
そこで秀吉は、跡継ぎとして信長の孫にあたる幼い三法師を擁立するのです。
織田家の後継者を決める清州会議で、勝家らが推す信長の三男・信孝を後見人とすることで、三法師が跡継ぎとして決まります。
その後、三法師に対して諸将が臣下の礼をとる式典では、秀吉が三法師を抱きかかえて上座につきます。
諸将は三法師に礼をするのですが、形の上では上座に座る秀吉に臣下の礼をしたようになってしまいました。
最終的には越前の勝家との決戦がありましたが、このときすでに勝敗は決していたのです。
この物語で秀吉は、三法師を手なづけるために周到な作戦を練っています。
自分の顔を近づけて驚かせてはいけないからと、まずは遠くから声をかけるだけにして、おもちゃを与えて遊ばせました。
そして徐々に近づいて、三法師の方から一緒に遊びたいと思わせるようにしたのです。
これもすべて、三法師を抱きかかえて諸将の前に出るというイベントを成功させるための工夫でした。
この話から得られる教訓も、先ほどと同様です。
1.相手が自分を受け入れるまでの十分な時間をかけること
2.相手のことが大好きだという気持ちを表すこと
3.贈り物をすること
当たり前のように思われるかもしれませんが、実際はそうでもありません。
相手に対して、「このくらいはしてくれてもいいだろう」という気持ちを持っていませんか?
もしそういう気持ちがあるなら、絶対恭順の態度とは違います。相手が受け入れてくれるまで待つという態度とも違います。
プレゼントはよく利用しますよね。でも、ひとりよがりになっていませんか?
相手がほしがるもの、相手にとって価値があるものを贈ることです。これも、相手のことを本気で考えないとわかりませんよね。
こうして相手に対して、「そこまでしてくれるんだ」という感動を与えるからこそ、相手は無条件に受け入れてくれるのです。
エソウはヤコブの贈り物を、「お前が持っていたらいい。私には十分にあるから。」と言って断ろうとしました。
もう何も要らなかったのです。純粋に兄である自分を慕ってくれる弟の態度に、一時は殺そうとまでして憎んだ気持ちが氷解したのです。
アベルは兄のカインに殺されてしまいました が、ヤコブはその轍を踏まないように考えたのです。
2012年07月17日
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人にモノを与える!
確かに一番効果的かもしれませんね!
日本人は特にそうじゃないでしょうか?
>富士山ケンプーさん
コメント、ありがとうございます。
物というのは、心がこもるんですよ。
自分の心の一部をあげていく。
だから価値があるんですね。