私の会社は、雑居ビルの中にあります。
同じフロアーには、今は2社、以前は3社入っていました。
各フロアーには、女性用と男性用のトイレがあります。
そのトイレを利用するのは、基本的にはそのフロアーの会社の人ですけど、それ以外の人が入ることもできます。
そんな会社のトイレですが、よく汚れます。
普通だと思われるかもしれませんが、まあお聞きください。
私が問題に思っているのは、個室です。
洋式のトイレが設置してあるのですが、その便座が汚れているのです。
時には黒い靴の跡、時には小便をこぼしたような水滴。
考えられないでしょう?
靴の後は、便座に直接腰を下ろしたくない人が、便座に足を置いて、和式トイレのように使うからです。
タイの伝統的なトイレは、日本の和式トイレのようなタイプですから、田舎の人はそれに慣れているのでしょう。
小便の跡は、小便用の便器が2つしかないために個室を利用する場合や、並んで立つのが嫌で個室を利用する人がいるからです。
それにしても、いずれも便座を上げてからすれば良いではありませんか。
便座には腰を下ろす人がいるという当たり前の発想ができるなら、自分がイレギュラーな使い方をする時、便座を上げるくらい大したことではないでしょう。
そう考えて、最初のころは本当に腹が立ちました。
犯人を見つけ出して、糾弾したい気持ちに駆られましたよ。
でも今は、考え方を変えました。
そんなことをしても何の解決にもならないし、第一、自分の気分が悪いからです。
個室に入った時に便座が汚れていたら、「ラッキーだったな」と思うことにしたのです。
もし私がその個室に入らなければ、他の人が嫌な気分になったかもしれません。
しかし、私が入ってきれいにしておいたら、私の後に利用する人は嫌な気分にならずに済みます。
別に私の名が知られるわけではありませんが、間違いなく私が、嫌な気分の連鎖を断ったのです。
トイレを気持ちよく利用できることに、私が貢献したのです。
そんな貢献をすることは、実に私らしいことだと思います。
私は、私らしい行動ができて気持ちいい。そう思うことで、幸せな気分になれます。
さらに言えば、私が幸せな気分になれた原因を考えてみると、トイレが汚れていたからです。
トイレを汚した人は、他の人に貢献するという気持ちよさを味わうチャンスを潰してまで、私のためにお膳立てをしてくれた。
そう考えることも可能です。
そうだとしたら、身を汚してまで他者に貢献する行為だとも言えますよね。
「トイレを汚しておいてくれてありがとう」
私は、そう考えることもできます。
実際、そう考えるようにしています。そう考えることを習慣化しようとしています。
なぜなら私は、いつも幸せな気分でいたいし、自分らしく生きたいと思うからです。
トイレを汚した人を批判したり非難するのに時間を費やすことが、もったいないと思うからなのです。
2012年07月13日
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