2012年07月11日

不安と喜びについて考えるたとえ話

ある大きな古い館には、「開かずの間」と呼ばれる部屋がありました。

その部屋には大きな扉があり、その扉はいつも閉められていました。

今まで、誰も開けたことがないと思われている扉です。


しかし、その扉には鍵がかけられていません。

開けようと思えば誰でも開けられる。それなのに誰も開けようとしない。そういう扉だったのです。


なぜか?

それは、その扉をひとたび開けると、中にいる怖ろしい魑魅魍魎(ちみもうりょう)たちが、一斉に飛び出してくると信じられていたから。

その扉を開ける者は、その化け物たちに食い殺されてしまうという噂がまことしやかに語られ、誰もその扉を開けようとはしなかったのです。


ある日、勇気のある若者が、その扉の前に立ちました。

怖さはありましたが、それよりも真実を知りたかったのです。

パッと扉を開け、飛び出してくる化け物たちを思って身構えました。

しかし、何も飛び出しては来ませんでした。


部屋の中に入ると、そこは穏やかで明るい春のような陽気で、一日中飽きさせないゲームやアトラクションが揃っていました。

若者はそこで数日遊び、後ろ髪を引かれる思いで部屋の外に出たのです。


若者はみんなに言いました。

「あの部屋には妖怪や化け物なんていないよ。ほら、それが証拠にボクは生きているじゃないか。毎日楽しく遊んで過ごせるんだよ。」

しかし、みんなは信じませんでした。

若者は化け物に騙されている。いや、あれはすでに元の若者ではない。化け物が若者のふりをして、自分たちを騙そうとしているのだ。

若者は、誰にも信じてもらえませんでした。

その後、若者は何度も開かずの間に入って遊びました。

しかし他の人たちは、相変わらず開かずの間を怖れて、その中にある喜びを知ることなく過ごしたのです。




いかがでしょうか?おそらくこういうことだと思うのです。

開けてみさえすれば、そこが天国だとわかる。けれど、心に不安があるため、それを開けてみることができないのです。

この世は、あまりに現実的です。誰もが、現実であることを疑いません。

あたりまえです。完璧なシミュレーションゲームを楽しむ場なのですから。

幻想だと見破られるようなヘマを、全知全能の神がするわけがありません。


しかし、無理に見破る必要はありません。

見破らなくても、知るだけで良いのです。

もし、この現実世界を幻想だと知っていれば、もっと穏やかな気持ちになれるでしょう。

ゲームで負けても何も失いはしません。

その逆境から這い上がることを楽しむことさえできます。



私は以前、ベーシック言語で書かれたPC版の「信長の野望」というゲームでよく遊びました。

ベーシック言語を少し知っていたので、各国の初期設定を変えて遊んだのです。

強い甲斐武田の兵糧を最初から多くして、最強国を作って、あっと言う間に全国制覇してみました。

でも、それはすぐに飽きます。

今度は、信長の兵や兵糧を少なくして、どれだけ弱いところから全国制覇できるかというゲームを楽しみました。

あまりに弱いと、最初のターンで何もすることなくやられてしまいます。

ワンチャンスで何をするのが良いのか?あれこれ考えました。

兵を増強する。それが最初のターンでやる最良の手でした。

そうすると、近隣国が数ターンの間、攻めて来ないのです。その間に田を増やし、兵糧や金を蓄えていきます。

困難を克服して全国制覇する楽しさは、最初から好条件が与えられていた時より、はるかに楽しいものでした。


ゲームだと知って生きれば、この世は楽しいことだらけです。

傷つけられることもないし、バカにされても真に受けることがありません。

他人を批判したり非難する苦しさも、味わわずに済みます。

勇気を出して、開かずの間の扉を開けてみませんか。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:38 | Comment(0) | 幸せ実践塾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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