私は今までに6回の大きな引越しを経験しましたが、1回目については「生きるためにはカラを破るしかなかったのです」 の記事、2回目については「人生をリセットする決意が私を変えました」 の記事を書きました。
3回目については、すでに「新居を東武東上線坂戸駅近くに決めました」 と「関越道を暴走しました」 で、そのときの様子を書いています。
ということで今回は、4回目の引越しについて書きます。
4.転職して横浜市へ
最初に就職した会社は、社長がワンマンで、それに反論できない部下が取り巻くという構図になっていました。
それを不満に思う中堅社員が次々に辞めていきます。しかも、優秀だと思われた人ほど辞めていくのです。
それが残念でたまらなかったのです。
その会社では、「会社に入ったら3年間は務めるというのがマナーのようなものだ」と教えられました。
新入社員は、教育されなければ使い物にならないのだから、会社が先行投資したことになるのだと。
それが回収できてトントンになるまでが3年だから、それまでに辞めるのは恩知らずだと言うのです。
私は、その理屈にはとても納得できました。たしかに、入って教育だけして辞められたのでは、会社は損をしますから。
会社が損をするということは、先輩や同僚たちが、その穴埋めをしなければならないということです。
他人に自分のケツを拭かせる(失礼)ようなことはしたくありません。
ですから私は、3年間は文句を言わずに働こうと決めていました。
3年経ったある日、社長から課題が出されました。ある本を読んで、感想文を提出せよというものです。
ただし本は自腹で買えと。その本の著者を、社長が応援していたからです。
社員の多くが愚痴をこぼしました。
「命令したからには、これは仕事じゃないの?仕事だったら、金は会社が出すべきじゃないか。」
運動会やハイキングなど、会社行事への参加は必須でした。もちろん無給です。
「なんで自分の休みなのに、会社の行事に強制的に出されなければいけないの?」
そういう不満が溜まっていたのです。
私はその感想文に、社長のやり方がおかしいということを書きました。
まだ若かったのですね。直情的に書いてしまったのです。
ただ、1つだけ希望がありました。もし社長が人物なら、逆に褒めてくれるかもしれないと思ったのです。
ワンマン社長というものは、周りがイエスマンばかりだということに、逆に腹を立てることもあるからです。
もしそんな中で入社4年目の若い(?)社員が、面と向かって社長の方針に異を唱えるとしたら...。
これにはショックを受けるでしょうけど、「ほう、こんな骨のあるやつがいたのか。面白い。」と、思ってもらえるかもしれないと考えたのです。
しかし、そうは行きませんでした。
上司から呼び出され、叱られました。「どうして私に相談しないんだ!?」
おそらく社長から怒られたのでしょう。部下の教育がなっていないと。
私は、会社を辞めることを決めました。
この会社は私を必要としていない、と感じたからです。
必要なのは私という個性ではなく、文句を言わずに働く有能な作業員だと感じたのです。
それから人材紹介会社に登録して、新しい会社を探しました。
すぐにある会社を紹介され、面接を受けました。
最後は会長面接というものがあったのですが、担当者から言われました。
「絶対に余計なことは言わないこと。はい、はい、と言ってやり過ごすだけで良いのだから。」
私は少し、嫌な印象を持ちました。「ここもワンマンか。」
最終的な採用通知をいただき、あとは入社日を待つばかりとなったある日、新聞にその親会社の会長が脱税で摘発されたとニュース記事が載っていました。
面接を受けた子会社の会長の父親です。
その親会社は、立派な志を掲げて社会貢献することを理念としていた会社です。だから気に入って入社を決めたのに...。私は幻滅しました。
受かった会社に手紙を書き、一身上の都合で入社できなくなったとお詫びしました。
人材紹介会社からも連絡があり、次のところを紹介すると言ってきました。
しかし、私は行きませんでした。
その会社を紹介された時、紹介会社の担当者とその同僚が私のことを、「もう年もいっているし、給料が少ないのが不満なんだろう。」と、自分たちの勝手な尺度で推し測っていた会話が聞こえたのです。
私は、給料のことは一切言ったことはありません。
多くもらえるなら、それに越したことはありません。でも、私の経験や年齢などから、一般的な金額をもらえれば十分だと思っていたのです。
「まずは使ってみてください。使ってみて気に入ったら、それに見合う対価をください。」
そういう考え方でいたのです。これは、松下幸之助氏が二股ソケットを売るときに使った方法です。
商品に絶対的な自信があるから、まずは使ってみてくれと言ったのです。
そして、それを正しく評価してくれと頼むのです。良い品だけど安く買い叩こうという態度なら、そういう人とは取引しない。
自分が自信を持って勧める商品を、正当に評価してくれる人とだけ取引する。それで十分だという気持ちです。
それからしばらくして、以前の会社のプロジェクトで知り合いになった方が、私に声を掛けてくれました。
その方は若いのに、自分で会社を起こして、10人くらいを使っておられたのです。
「もしまだ就職が決まっていないなら、うちに来てくれないか。うちに来て、会社の経営に関して、どんどん意見を言ってほしい。」
私の見識を評価してくれた上で、そう誘ってくださったのです。
私はすぐに、その会社に入ることを決めました。
「士は己を知る者の為に死す」
司馬遷の「史記」の刺客列伝に登場する豫譲という刺客の言葉です。
信義に生きよう。
そういう思いを強くして、私は東横線白楽駅の近くのアパートに引っ越したのです。
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