2012年07月06日

イライラしたから突き飛ばしてやった

今朝、東京都福生市のJR青梅線福生駅で、ホームから男性が転落し、危うく快速電車にひかれそうになったという事件がありましたね。

34歳の会社員男性が、目の前を通った男性の肩を突き飛ばしたためだとか。

犯人は通報により逮捕されたのですが、「イライラしてうっとうしく、頭にきてやった」と供述しているそうです。


詳しい事情はわかりませんが、おそらくその突き落とされた男性に対して腹を立てたのでしょうね。

私も東京で暮らしていたころは、イライラすることが多かったです。



電車を待って並んでいる時でも、やたらとくっついて並ぶ人がいました。

それがじっとしてるならまだしも、仲間と話をしているときに身体を揺らすので、カバンが私の背中に当たるのです。

いちいち「すみませんが当たらないようにしてください」と言うのも癪にさわるし、手でカバンを動かして背中に当たらないように位置を変えても、またしばらくすると元の位置に。

そんなことくらい気にしなければよいのでしょうけど、気になって仕方なかったのです。

「なんでそんなにくっつくんだよー!オレのことが好きなのか!?」

そう怒鳴りたくなったものです。


あるときは列の先頭に並んでいたら、白線の内側を歩いて移動する人がいるのです。

「危ないですから白線の内側を歩かないでください。」

そうアナウンスされているのに、平気で歩いています。

それだけ堂々と歩くなら、もっと線路に近い方を歩けば良いのに、私の目の前を、もうぶつかりそうなくらい近くを通過します。

そんなときは、私も突き飛ばしたくなる衝動に駆られたことがありました。



「思ったかどうかが問題じゃなく、実際にやったかどうかが問題なのだ。」

そう考える人もいるでしょう。

たしかに法律上では、いくら想像したとしても処罰はされません。

しかし、それで本当に満足ですか?

処罰されるかどうかが重要なのでしょうか?


この前も書きましたが、聖書の中でイエスは「情欲を抱いて女を見た者は、姦淫をしたのと同じだ」 と言い切っています。

実際にやったかどうかが重要なのではなく、思ったかどうかがより重要だということでしょう。



こういう問題を、「イライラさせた相手が悪いのだ」とか、「人が多過ぎる社会環境が悪いのだ」などと、他人や環境のせいにしても解決しません。

なぜなら、他人や環境は、自分の思いだけではどうにもならないからです。

どうにもならないことを、どうにかしようともがくから苦しいのです。

自分の考え方を変えるしか、解決方法はないのです。

そう、とことん突き詰めて考えて決めておかないから、迷ってしまうのです。



こういう事件が起こると、その犯人を重く処罰することを人々は求めがちです。

「あいつが悪いのだから、あんな奴は懲らしめてやれ。」


しかし、それもまた他人を変えようとする行為であることを、知っておく必要があるでしょう。

どんなに罰を重くしても、あなたを怒らせる「あんな奴」はいなくなりません。

「あんな奴」をこの世から抹殺するには、あなたが「あんな奴」と思わないことしかないのです。

それが道理だとわかるまでは、何度も何度も同じことを繰り返すことになるのでしょうね。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:26 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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