私の実体験に基づいてそう勧めたのですが、同じようなことは多くの方が言われています。
「出稼げば大富豪」の兄貴 こと丸尾孝俊さんも、出稼ぐのが良いと、海外や地方へ移住することを勧めておられます。
今回は、私の実体験の中で、最初の引越しで感じたことを書いてみます。
1.大学進学と同時に島根の田舎から都会の広島へ
島根県は、陸の孤島と揶揄されるほど、当時は交通の便が悪かったのです。
まだ中国横断道(浜田道)もなく、山間のくねった道を走るバスか、単線のJRを使って広島へ出ます。
うちから県庁所在地の松江市までが車で約2時間でしたが、広島へはほぼ同じ距離ながら、それ以上の約2時間半かかったのです。
一度、三江線から芸備線に乗り継いで行って、待ち時間も含めてトータルで5時間以上かかったことがありました。
新幹線なら広島から東京に行くのと同じくらいの時間です。さすがに懲りました。
広島駅に着いて驚いたのは、列車が停まるホームがたくさんあったこと。
江津駅のホームがせいぜい3つくらいでしたから、その多さに驚き、「大都会に来たんだなあ」と感じました。
広島大学に進学することに決まった後、住む場所を決めたりするのに、母親と一緒に広島へ行きました。
18歳にもなってですけど、心細かったのです。
さすがに切符くらいは買えるまでになっていました が、何をどうすれば良いかわからないのですから。
大学を訪ね、下宿を斡旋してもらい、本校にも東雲(しののめ)キャンパスにも近い黄金山の麓にある古城浜荘という名の下宿で、4畳半の部屋を月にたしか7千円で借りたと思います。
トイレ、洗濯機、台所は共同です。お風呂はなく、近くの銭湯へ行きます。
冷蔵庫はあとで買うことにして、布団と机、小さな白黒テレビくらいが田舎から運んだ大きな家具でした。
初めての一人暮らし。
母親は心配して、料理のレシピを書いたノートを持たせてくれました。うどんの汁の出汁の取り方まで書いてあったんですよ。
外食ばかりじゃ身体に悪いということもありましたが、外食ばかりじゃお金が持ちません。
仕送りは最初、月に4万円だったと思います。
そのうち日本育英会の特別奨学金の2万6千円をもらえるようになったので、仕送りは2万円に減らされましたけど。
初めて夜を過ごした下宿では、電気を消した後、窓から遠くの空を眺めました。
「今頃は家族でテレビでも見ているのだろうか。」
そう思うと、急に1人でいることが心細くなります。
ここで生活をするしかない。どんなに心細くても生きていかなくては未来は開けないのだと、漠然と思ったのです。
5月の連休には一度帰省しました。目的は、バイクを持って行くためです。
友だちから1万円で買ったホンダCB50。それに乗って広島へ向かっていると、途中で父親が車で追いついてきました。
心配で後を追いかけてきたようです。車には母と妹も乗っていました。
ガソリンが足りるかをチェックし、大丈夫だということで別れました。
私は両親から、本当に愛されていたのですね。
こうして、初めての一人暮らしがスタートし、私の生活環境は一変しました。
何から何まで自分でやらなくてはならない生活。
楽ではなかったと思いますが、お陰で強くなれました。料理も洗濯も、自分でできるようになりましたから。
いつ1人になっても生きていける。その確信が持てるということは、本当に人を強くしてくれます。
内気で初対面が苦手な私であっても、徐々に積極的に人の輪に入っていけるようになったのです。
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