「笠地蔵」という物語を知っていますか?
おそらく多くの方が、昔話として一度は耳にしたことがあると思います。
念の為に、簡単(?)に物語を書きましょう。
昔々、お爺さんとお婆さんがおったそうじゃ。
暮らしはは豊かではなかったが、仲良く2人で暮らしておったと。
年の瀬が近づき、正月を迎えるための餅などを買おうとして、お爺さんは自分たちでこさえた蓑と笠を町まで売りに行ったそうじゃ。
しかしそれらはほとんど売れず、お爺さんは雪が降る中をトボトボと帰っておった。
「あー、お婆さんになんて言おう?正月に要る物が何も買えんじゃった。きっと楽しみに待っておるじゃろうにのお。」
お爺さんは、お婆さんを落胆させてしまうことを、心から申し訳なく思っておったのじゃ。
すると雪の中に、7体のお地蔵様が立っておるのが見えたんじゃ。
お爺さんはお地蔵様の前で手を合わせ、今年も無事に過ごすことができたと感謝したそうじゃ。
ふと見ると、お地蔵様の頭や肩には雪が積もっておった。
「お地蔵様も、この雪の中じゃ寒かろう。そうじゃ、売れ残った蓑と笠があったわい。」
お爺さんはお地蔵様の雪を払い、1体1体に蓑を掛け、傘をかぶせてあげたのじゃ。
しかし、6体まで掛け終わったところで、持っていた蓑と笠がなくなってしもうた。
それでお爺さんは、自分の蓑と笠を脱ぐと、最後のお地蔵様につけてあげたんじゃ。
「これでお地蔵様も、温かくして正月を迎えられるじゃろう。良かった、良かった。」
家に帰ったお爺さんは、出迎えてくれたお婆さんに詫びたそうじゃ。
「今年はのう婆さんや、蓑や傘が売れんじゃった。すまんのう。でも帰りにお地蔵様がおってな、寒そうにしておられたから、全部差し上げてきたんじゃ。足りんじゃったから、わしのも一緒にな。」
その話を聞いたお婆さんは、「お爺さんは、ほんにいいことをしなさった。」と言って、お爺さんと一緒に喜んだそうじゃ。
その晩、外で何やら物音がするので、お爺さんとお婆さんは起きて表の戸をそーっと開け、外を覗いてみたんじゃ。
すると、家の前に米俵や金や銀など、たくさんの物が積まれておった。
遠くには7体の傘をかぶったお地蔵様が、歩いて行かれるのが見えたんじゃ。
「あー、これは、お地蔵様がくださった物に違いない。ありがたいことじゃのう。」
そう言って、お爺さんとお婆さんは、手を取り合って喜んだということじゃ。 めでたし、めでたし。
どうでしょう。思い出されましたか?
この物語は、「善行善果(善い行いをすれば良い結果が得られる)」とか、「他の人に情けをかければ、自分にも返ってくる。」などの教訓として話されることが多いと思います。
しかし私は、別の見方ができると思うのです。
それは、この物語は「引き寄せの法則」 そのものだ、ということです。
お爺さんは、自分が損するとか正月を迎えられないことを気にすることなく(=忘れて)、お地蔵様が温かく豊かに正月を迎えられるようにと思って、蓑や傘をあげたのです。
つまりお爺さんが考えたのは、「温かく豊かに正月を迎えられる」ということで、それが得られると確信して、安心したのです。
もちろん対象は自分自身ではなく、お地蔵様です。
しかし、「潜在意識には主語がない」と言われるように、誰のことを考えたとしても、その考えた人にその考えたものが引き寄せられる。それが「引き寄せの法則」です。
お爺さんは(お地蔵様が)豊かさを得られると確信した。だから得られたのです。
「神との対話」 にも、同じようなことが書かれています。
街で乞食と出会った。ポケットには1ドル札が入っている。
これをあげたら、昼飯に買おうと思っていたサンドイッチが買えない。
そういう状況で、考える前にさっさとあげてしまうことだと言うのです。
乞食にお金をあげたいと思ったのは、乞食に豊かさを味わってほしいと願ったから。
それを自分が損するという考えで否定してしまうと、結局、「損する(=豊かではない)」と考えただけで終わることになる。
なあに、ポケットの1ドル札をあげたくらいで、あなたは破産したりなどしない。
家に帰ればお金はあるし、銀行の口座には、まだ十分なお金がある。
否定する気持ちが起こる前に、さっさとあげてしまうことだと。
「引き寄せの法則」は、昔から身近なところで語られてきたのです。
この世の真理で、隠されているものなど何もないのですよ。
2012年07月05日
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笠地蔵も、「引き寄せの法則」の物語だったのですね!
>ちー@在宅ネットワーカーさん
コメント、ありがとうございます。
これも1つの見方ですよね。