昨今の日本において、明日の食事ができるかどうかを心配する人は、果たしてどれほどいるでしょうか?
おそらく、皆無に等しいと思います。
それほど豊かになったにも関わらず、毎年3万人以上の自殺者がいます。
その理由は様々でしょうけど、経済的な困窮によるものも多いとされています。
何かおかしいですよね?
今、世界では、明日の食事どころか、今日の食事に事欠く人が多数います。
さらに大昔の地球上に人類が登場した当初は、毎日が食事を得るための闘いだったでしょう。
「今日は、獲物を得ることができるだろうか?」
いくら考えても答は出ません。毎日が不安でも、不思議ではありませんよね。
しかし、狩りに出るより他、仕方なかったのです。
不安だとか言って心配している暇があったら、少しでも早く出発して獲物を探すことを選んだでしょう。
それから月日は流れ、日本は有数の豊かな国になりました。
食うや食わずの生活をする国民が大勢いた時代は、はるか昔になりました。
今や明日の食事はおろか、1ヶ月後の食事すら、ほとんどの人は心配しないでしょう。
けれども、相変わらず不安を持ち続けています。
「リストラにあった。どうしよう?」「大学を卒業しても、就職できなかったどうしよう?」
すぐさま死に至るわけでもないのに、遠くはるか先のことを気に病んで、今を過ごしているのです。
このように、いくら経済的に豊かになったとしても、今より豊かさが減少する心配はなくなりません。
なぜなら、世の中は変化するからです。
変化は生命のダイナミズムです。変化するからこそ生命は永続するのです。
その変化を怖れているのですから、心配のタネが尽きるはずがありません。
もう言わなくておわかりでしょう。
差し迫った危機に対処する以外に、心配することは無用です。
あらゆる可能性を検討しても、絶対に万全にはなりません。人は過ちを犯すものですし、状況は変化するものですから。
リスクを負う覚悟を決めるしか妙案はありませんよ。
どうせ前に進むしかないのです。
私たちには、選択するしかすることはないのです。選択し、創造する。その繰り返しです。
どうせ選択するなら、思い切って自分らしく生きることを選択しませんか?
その方が得だと思うのです。
「なあに、生きてさえいれば何とかなる。」
NHKのドラマ「開拓者たち」で、どんな困難にもくじけなかった主人公のハツの言葉です。
満州にポツンと取り残された心細さ。一から開拓しないと食べ物も得られないどん底の状況。
それでも、希望だけは捨てなかった。
そんな素晴らしい生き方を、あなたもしてみませんか。
だってあなたは、それに相応しい素晴らしい存在なのですから。
2012年07月04日
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