2012年07月02日

強烈な性欲の正体がわかった

何度も繰り返していますが、私は自分のことを、これほど性欲が強い人間は他にいないのではないか、と思っていました。

実際は、私よりも好きな人は多いと思いますが、比較する機会がなかったものですから。

私の主観の中で、そう思い込んできたのです。


女性を見ればムラムラとした気持ちが頭をもたげ、非ぬことを想像してしまう

想像しているだけなら問題はないのかもしれませんが、これがいつ現実に実行してしまうかわからないほど、強い思いだったのです。

聖書ではイエスが、情欲の思いで女を見たなら、それはすでに姦淫の罪を犯したのと同じだ、というようなことを言っています。

その意味からすれば、私はとうの昔に罪人(つみびと)なのです。

異端の宗教ではあっても、キリスト教関係の宗教に入信していた私としては、それはとても苦しいことだったのです。


その苦しさから逃れるには、自分を責めて殺してしまうか、あるいは開き直るしかありません。

私はその宗教から脱会するにあたり、その罪だけでも地獄に落とされても仕方がないと考えていました。

また一方では、愛の神がいるとするなら、どうしてそんな私を放っておくのかと、神に対する不信感も持っていました。

もし私を助けようともしない神なら、別にいてもいなくてもかまわない。自分の好きなようにやるだけだと、開き直った気持ちもありました。


22歳くらいで初体験し、異端の宗教の禁を破ったのも、その開き直りの気持ちからだったと思います。

それからも風俗通いを続けるなど、完全に俗に染まってしまいました。

その一方で、古典を読んで生き方を模索するなど、意義のある生を送りたいという気持ちは捨てきれなかったのです。



そんな私が変わったのは、「神との対話」を読んで5年以上も経ってからのことです。

先日の記事にも書きましたが、「神との対話」で神は、やりたければ好きなだけやったら良いと言いました。

「もうこういうのは嫌だ。自分はこんな人間じゃない。」と感じるまでは、人は変わろうとしないし、自分で変わろうとしない限り、人は変わらないからです。

私は、様々な体験をしてきましたが、そうする中で、本当に自分が欲しているものが見えてきました。

漠然と性欲と呼んで、ムラムラする気持ちの正体がわかったのです。


それは、「愛されたい」という強烈な想いでした。



単にエッチなことをしたいという、そんな単純なものではなかったのです。

そういう意味での性欲は、いわゆる好奇心と同じものです。

そうではなく、レイプしてまでやりたくなるような強烈な性欲は、自分を愛してほしいという強い強い欲求が、影に潜んでいたのです。



男は、闘いを好むと言われます。

これなども、実は隠された愛情欲求に過ぎません。

相手を支配し、屈服させたいのですよね。屈服とは、完全服従です。自分の意思など持たず、ただただ私を賞賛することを求める気持ちです。

でも、実際にそういう人に囲まれたら、満足すると思いますか?

私は、満足しないと思います。完全に言いなりでは満足できないのです。その人の自由意志で賞賛してくれないと、喜べなくなってしまうのです。

なぜなら、本当は愛されたいのですから。


性欲も同じです。

男の性は支配欲だとも言いますが、支配したいのは愛されたいからです。

愛されたいから、襲うのです。愛されたいから、所有したくなるのです。そういった欲求の根源には、愛されたいという思いがあるのです。


私は、そんなにも愛されたくて、愛されたくて、仕方ない人間だったのです。



そのことがわかったことで、私の心に抱える問題の多くが解消しました。

「愛されたい」という思いを解決すれば、すべてが解決するからです。

そして、その思いも解決しました。


2007年のある日だったと思います。

いつものように出勤し、職場から窓の外を眺めていた時でした。

ふとある感情が私の心を支配しました。

そして、それまで何度も頭の中で繰り返していた言葉が、心にスーッと染み入っていったのです。


必要なものなど何もない。



「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という言葉があります。

朝、人の生きる道がわかったら、夕方に死のうともかまわない。それくらいの強い思いで道を求めたという話です。

私はそのとき、その言葉を思い出しました。まさにそのときの私は、もういつ死んでもかまわないという気持ちになったのです。


涙が溢れて仕方ありませんでした。

仕事中だというのに、オフィスの片隅でしばし、その満足感を味わっていたのです。

「ああ、これほどまでに私は愛されていた。」

そう感じたのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:41 | Comment(2) | ├ 私の生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
■自由
自分の発言に対する他人の反応に対して、
完全に自由でらっしゃるようすが、
この日記からひしひしと感じられました。

私はまだそこまでいっていませんが、
とても学びになりました。

ありがとうございます^^)
Posted by まなびー at 2012年07月03日 01:10
■Re:自由
>まなびーさん

コメントありがとうございます。
「完全に自由でありたい」と思っています。
でも、なかなかそうは行きませんね。
だって現実は、本当に現実的ですから。
常に本質を思い出そうと務めています。
Posted by 赤木 (幸せ実践塾塾長) at 2012年07月03日 11:17
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