私がこの本を手にしたのは、1998年8月だったと思います。
思いますと言うのは、私がこの本をHPに書いて紹介したのが1998年8月だったからです。
でも、この本の初版発行は1997年9月30日となっていて、私はその初版本を持っています。
ひょとしたら、1997年10月には手にしていて、たまたまHPに書き始めたのが1998年8月だったかもしれません。
1999年5月には「神との対話B」を紹介しているので、その間に「神との対話A」を読んでいるはずです。
そう考えると、1998年8月よりも早かった可能性が高くなりますね。
まあそんなことはどちらでも良いのでしょうけど、そんなこともわからなくなるほど、私にとっては昔の出来事なのです。
その頃はたしか、東京都世田谷区の千歳烏山で暮らしていたと思います。
東京のあちこちへ仕事で行く可能性があったので、アクセスの良い場所に住みたかったのです。
そこで目をつけたのが、副都心の新宿へ行ける路線です。
小田急線と京王線、そして中央線が候補に上がりましたが、私は京王線を選びました。
京王線は新宿だけでなく、渋谷にもアクセスできたし、地下鉄への乗り入れもありましたから。
それに小田急線よりも混まないのが良かったですね。小田急線は、ラッシュ時は鈍行がまったく進まない感じでしたし。
中央線は、遠くまで行っているのが難点でした。ずっと混むのです。
休みの日など、千歳烏山の商店街にある書店へ、よく行きましたよ。
そこで「神との対話」を見つけました。
ちょっと分厚い単行本で、値段が1,800円+税です。ちょっと高いですよね。
でも私は、これは読むべき本だと思い、すぐに買ったのです。
「はじめに」と題された最初の文章は、次の文で始まっていました。ちょっと引用しましょう。
これからあなたは、とてつもない経験をする。神との対話が始まるからだ。そう、そのとおり、わかっている・・・そんなことは不可能だ。あなたはきっと不可能だと考えている。(あるいはそう教えられている。)神に語りかけることはできても、神と対話することはできない。神は答えてくれない。少なくとも、神と友だちのような会話ができるはずない、と。
このあと、著者のニール・ドナルド・ウォルシュ氏が、どんな不思議な体験をしたかが書かれていました。
私はそれを読んで、またチャネリングの類だろうと思ったのです。
本文に入ると、神は著者を通じて語ってきます。
その中でまず、思考が現実を創るという「引き寄せの法則」のような話をします。
ただし、もし私たちが「欲する」と言えば、「欲する」=「今はない」という現実が創造されるとも。
そこで、感謝することが重要だと言います。感謝するとは、神を信頼することだと。
しかし、感謝は神を操る手段ではないと言います。そうなると知っているなら、感謝したくなるのだと。
このあたりの内容は、すでに潜在意識を効果的に利用する方法として、ジョセフ・マーフィーの本などで知っていました。
知っていましたが、確信に満ちた語り口の中に、ポツポツと私が知らないことも出てくるのです。
「なぜそう言い切れるのだろう?」
そんなことを考えながら、この本を読み進めました。
「感情は魂の言語だ。」というフレーズも、この本に出てきます。
これなども、私はそれまで知らなかったことです。
この本を読み、「本当にそうか?」という疑問を抱きながら自分自身で検証し、信じるに足ると思うようになったことです。
「最も愛情深い人間とは、最も自己中心的な人間だ。」
こんな過激な言葉も出てきます。
しかし、自分を愛していなければ、相手を愛することもできないと説明されると、なるほどなと思うのです。
それがわかっていないから、相手から愛情を得ようとして、自分の愛情を取引材料に使おうとするのです。
私も、そんなことをしてきました。
「これだけ愛したんだから、その10分の1くらい思ってくれてもバチは当たらないんじゃないの。」
そう言って、自分が愛を提供したのに、返してくれない相手を責めたのです。
でも、それは愛ではなかったのですね。
まずは自分を愛すること。それができていなかったから、他人からの愛を求めたのです。
性的な関係についても書かれていて、そこは本当に興味津々で読みましたよ。
なにせ私は、性欲が人一倍強いと自負していましたから。
私の初体験は、新宿のソープランドでした。22歳くらいの頃だったと思います。
学生の間はお金もあまりないので、風俗の経験はそれだけでしたけど。
早朝の60分1万円コース。三つ指をついて出迎えられ、どんなことをしてくれるのかとワクワクドキドキし、緊張のあまりに最後までイカなかったという恥ずかしい体験です。
ソープ嬢がボソリと、「だから童貞は嫌なのよね」と言った言葉を聞き逃しませんでした。
落ち込んで、二度とソープなんかへ行くかと思った出来事です。
しかしそれでも、性欲の強さには勝てずに、それからも何度も風俗通いをすることになりましたけど。
そんな私ですから、この性欲をどうすれば抑えられるのか、あるいは抑えるべきなのかどうか、神がどう言うのか、とても関心があったのです。
この本で神は、セックスは面白い遊びだと言います。大いに遊んだら良いと。
それを読んで、「じゃあ無理に性欲を抑える必要性はないのだ。」と思いましたよ。
性欲があることは間違いないのに、どうしてそれを抑えるべきだと言われるのか、そこがわからなかったからです。
ただ、続けて次のようにも言うのです。引用しましょう。
愛のないセックスをする人間としての自分を経験したいか?それなら、そうしなさい!もういやだと思うまで、実行すればいい。どんな行動でも止めるのは、新しく違う自分になりたいと思ったときである。
これには参っていましました。やりたいなら、好きなだけやれと言うだけで、良いとも悪いとも言わないのですから。
この本全体を通じて、こんな感じです。
神は常に、自分の思うがままにしなさいと言うだけです。あなたの思いが、神の思いなのだと。
これを読んだばかりのころ、私にはまだほとんど理解できなかったのです。
【├ 私の生い立ちの最新記事】