2012年06月29日

この世に男と女がいるのはなぜ?

前回は、真理はシンプルで美しいという話をしました。

私が考える究極の真理は、「すべてはひとつのもの」ということです。

たったこれだけで、多くの謎に答が出てしまうことが、私にとって驚きでした。



すべてがひとつなら、それが存在するために他には何も必要がないということです。

何かが足りないということもありません。

すべてが十分にあるということです。

ここから、必要性があるという考え方は幻想だということが見えてきます。


また、時間も空間も含めてすべてなのですから、そのひとつのものは永遠に存在します。

私たちが「存在」という言葉を使うときは、暗黙のうちに時間軸を考えています。

でも、その時間さえもがひとつのものに含まれるとしたら、時間で制限されることは矛盾します。

だから「永遠」なのです。

これも本当は、時間軸で見た永遠とは違うのでしょうけど、時空に縛られた私たちには、実感することができません。


永遠でありながら、この世には生滅や増減があるように見えます。

だとしたらそれは、変化と考えるのが適切だと考えられます。

物理では、エネルギー保存の法則というものを習いますよね。

エネルギーには熱エネルギーとか位置エネルギーなどがありますが、その総和は変わらないということです。

つまりエネルギーは変化しながら、永遠に存在し続けるのです。

それとまったく同じことではありませんか。



では、そんなふうに全てであり、永遠であり、変化するという「ひとつのもの」が本質なら、どうしてこの世のような形で現れるのでしょうか?

そこで、この世がどうなっているかを調べてみる必要があります。

よくよくこの世を見ると、すべてが相対的だということがわかります。

上と下、速いと遅い、高いと低い、太いと細い、右と左、男と女、光と影、...。

あらゆるものが相対的にできています。

なぜ、そうでなければならなかったのでしょう?

その理由を考えると、「比較するため」という答しか見つからなかったのです。

相対的なモノ同士を比較することによって、それぞれの存在を知るのです。

自分が高いということを知るためには、低い存在が必要です。

自分が男だということを知るためには、それとは違う女という存在が必要なのです。

では、比較して存在を知ると、どんなメリットがあるでしょうか?

それは、その存在の素晴らしさを感じるということです。

明るいことがどれだけ素晴らしいかを知るためには、暗闇の不安が必要だったのです。

暗闇の美しさを知るためには、なんでも見える明るさが必要なのです。

力強い男の素晴らしさを知るためには、弱々しい女の存在が必要なのです。

繊細でたおやかな女の素晴らしさを知るためには、荒々しい男の存在が必要だったのです。

このように相対的にできているから、私たちは比較することでその素晴らしさを知り、喜ぶことができます。

不思議なことですが、私たちは素晴らしいと感じて喜ぶという性質があります。

そういう性質を持っているということは、すなわち「そうしたかったから」という理由が見えてくるのです。



そう考えると、この世は素晴らしくよくできていると思えませんか?

「ひとつのもの」は、自分自身を体験的に知って喜ぶために、この世を創造したとも言えます。

だから私たちの生きる目的は、喜ぶことなのです。

人生を楽しんで、喜ぶことこそが、私たちの生きる目的だと思うのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:38 | Comment(0) | SJ通信過去ログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。

ランキングに登録しています。面白かったらボタンをポチッと押してね。
↓↓↓↓
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分らしさへ

スポンサーリンク