2012年06月26日

本当に強いのはどっち?

世界最強の男って、どんな人でしょうね?

いや別に女でもいいんですけど。


強いと言っても、いろいろな意味があります。

それらすべてをひっくるめて、それでも強いということです。


ケンカが強いということだと、体力的に男が有利だと思われます。

でも、そんな男を色香で翻弄してしまう女がいたら、やはりその女の方が強いことになるでしょう。

体力では劣っても、経済力があれば、用心棒を雇うこともできますよね。強さは金で買えるというわけです。



ある人が言いました。

「今、私は毎月1000万円稼いでいる。だから、自分がやりたいと思う大抵のことができる。しかも、これはやり方さえ知っていればゼロからでも再構築できるから、私には何の怖れもない。」

素晴らしいですね。いつでも稼げる自信があるから、失うことも怖れない。こういう人も、強い人だと言えるでしょう。


一方で、自分にはそんなに稼ぐ才能もないから、まったく稼げませんという人もいるでしょう。

様々な人がいるからこの世は成り立っているわけで、稼げない人が悪いわけではありません。

ではそういう人は、弱い人でしょうか?



私はこう思うのです。

もしその人が、稼ぐ必要性を感じていなかったら、その人もまた強い人だと。


必要性がないということは、失うことを怖れないということです。

怖れない人というのは、強い人ではないでしょうか。



そこで考えてみると、いつでも稼げるという自信を持っている人は、確かに強い人でしょう。

でも、その前提が崩れた時、それでも自信を持っていられるでしょうか?

たとえば、PC1台で1億円を稼ぐ人は、両手や両目を失った時、それでも稼げると言うでしょうか?

あるいは投獄され、身の自由を奪われた時、それでも自信を持ち続けられるでしょうか?


「そんな極端な話をしてもしょうがないでしょう。滅多に起こらないんだから。」

そういう風に思われるのは自由です。

ただ、前提条件が崩れることで自信がなくなるようなら、その強さもその程度のものだということだと思います。


私が考える世界最強の人間とは、何も必要としない人間です。

お金ばかりじゃありません。人間関係も、身体的な自由さえも、失うことを怖れない人。

そういう人の自信を奪うことはできないからです。



もし、そういう強い人間になったら、どうなるでしょうか?ちょっと想像してみてください。

何も必要とせず、失うことをまったく怖れなかったら、心は自由ですよね。

自分が考えたいように考えられるでしょう。

そういう自由な心があれば、どんな状況でも自分らしい生き方を選択できると思いませんか?

すべてを与え尽くしても平気でいられる人。そう、完全に愛に生きられる人になるでしょう。それが、世界最強の人だと思うのです。

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:41 | Comment(0) | 幸せ実践塾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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