2012年06月23日

あなたが示してくれた前向きな心を忘れない

私は、新宿のパブでフィリピーナと出会った のがきっかけで、恵まれない子どもたちを経済的に支援する活動を行なってきました。

最初はフィリピンの子どもを対象にしましたが、1ヶ月にに4,000円から5,000円くらいを寄付するのです。

そのお金は、一部は会の経営のために使われますが、多くはそのまま子どもの家族に渡ります。

生活費になることもあるでしょうけど、指定された学校に通うことが条件となります。



タイに来てからは、タイの子どもを対象にした支援も行うようになりました。

そんな中で私は、1人の女の子と出会うことになりました。


ジンタナーさんのことを知らせる会報今も手元に残っていますが、あるボランティア団体の会報に、その女の子のことが載っていました。

クロントイ港の近くにあるチュアパーンスラムで暮らす23歳の女の子。名前はジンタナーと言うそうです。

これはニックネームです。タイではみんな、自分のニックネームを持っていて、通常はそのニックネームで呼び合うのです。


彼女は13歳のときに、心肺同時移植の手術を受けました。

術後の経過は順調だったものの、余命3年と告げられます。

移植による拒否反応を抑えるため、免疫抑制剤を飲み続けなくてはなりません。

その薬の副作用や、免疫力低下による感染症。体調不良に悩まされる日々を送ることを余儀なくされます。


それでも彼女は明るく前向きです。専門学校で手芸を習い、通信制の大学へも入学します。

せめて自分のノート代くらいは稼ごうと、積極的に縫い物や編み物をしたそうです。

ここ数年は体調を崩すことが多く、やせ細り、立っていることさえ苦しい。

でも彼女は、「生きる機会をもらったのだから、毎日を精一杯生きていくしかない」と言って、けしてあきらめたりしません。


その会報には、彼女の後ろ姿が写ったモノクロの写真がありました。

ただひたすら裁縫をしている痩せこけた女の子の後ろ姿です。


最後に、支援の要請が書かれていました。

彼女を支援するための基金を設けているものの、資金が不足しているからと。

私は、迷わずにメールを出しました。

もしまだ支援金が不足しているなら、私ができる範囲で支援させていただきたいと。


それが、2006年9月のことでした。

ボランティア団体では彼女に毎月2,000バーツを支援しているが、基金の残高が4,156バーツになっているとのこと。

私は、1万バーツの支援をさせていただくことにしたのです。


ジンタナーさんからの手紙と手編みの携帯電話ケースそれからしばらくして、彼女から手紙が届きました。

支援に対するお礼が、便箋2枚にびっしりと書かれていました。

そして彼女が手で編んだ携帯電話ケースも入っていました。

おそらくこういうものを作って売っては、少しでも生活費や学費の足しにしようとしているのでしょう。

私の支援が多少でも役に立つならそれでいい。私はそう思いました。


年が明けた2007年1月17日、私は彼女を支援しているボランティア団体へメールを出しました。

その後、彼女が元気でやっているか、様子を知りたかったからです。

すると19日、ボランティア団体の方から電話がかかってきたのです。

「ジンタナーさんは今、ICU(集中治療室)に入っていますが、面会に来られますか?これが最後のチャンスになるかもしれませんから。」


私は迷いました。行って支えてあげたい。もし彼女がそれで喜んでくれるなら。でも、...。

結局、私は、断りのメールを出しました。

支援者は、いずれ忘れられるのが良いと思っているからです。いつまでも支援を受けた側の重荷になってはいけない。だから、ずっと足長おじさんであれば良いのだと。


彼女はその日のうちに、ICUから出されてしまったそうです。3日も意識が戻らず、もうあとは死ぬのを待つばかりだという医師の判断なのでしょう。

私は、「彼女はきっと思う存分に生きたのだと思います。1000の風に姿を変えて、大空を飛び回ることでしょう。」と、メールを送りました。


1月23日、彼女は亡くなりました。

大学の卒業式が目前で、その卒業式に出たがっていたそうです。

タイでは、大学を卒業するということは、国のエリートとして尊重されます。なので卒業式では、必ず王室の方から卒業証書を手渡ししてもらうのです。

王室の方は人数も限られているため、タイの大学の卒業式は通年で行われます。

大学は卒業したけど、卒業式は数ヶ月先だということは、普通にあるのです。

そのハレの場に、彼女も誇らしい気持ちで出席したかったのでしょう。


彼女の姿のままで、その体験をすることはできませんでした。

しかし私は、きっと彼女は自由な姿となって、学友たちと一緒に卒業式に出たと思うのです。


1月23日は、私の会社でリーダーミーティングを行う日でした。

私は、彼女のことを社員に話すつもりでいたのです。

まさか、ちょうどその日に亡くなるなんて、思ってもいませんでした。

それでも、これはきっとそういう運命だったのだと思うことにしました。

我社の社員にどう伝わったかわかりませんが、私はジンタナーさんの前向きな生き方について話しました。

そして、その日の朝に亡くなったことも。



あれからもう5年になります。

今でも彼女のことを思うと、涙がこみ上げてきます。

それは悲しいからではありません。

悲しくはないけれど、涙がこぼれて仕方ないのです。

おそらくそれは、そこに愛を感じるからだと思います。


彼女のことを思うたびに私は、前向きに生きようと思います。

彼女でさえできたのです。私がやらなかったら、あの世で彼女から笑われてしまいますから。

私は何があっても、絶対にへこたれない。そう決めたのです。

なぜなら私の心には、いつもジンタナーさんがいてくれるから。


ありがとう。あなたと出会えたことは、私にとってこの上ない幸せなことだったと思います。

たった1万バーツを支援しただけ。たった1回手紙をくれただけ。それだけだったかもしれないけれど。

それでも私は、心からありがたいと思うのです。ありがたくて、ありがたくて、仕方ないのです。

支援させてくれて、ありがとう。そんなつらい中でも、前向きに生きてくれてありがとう。ただただ、ありがとう。

どんなに言葉を尽くしても、私の思いはそれよりも何倍も何十倍も大きくて、言い足りないと感じてしまうのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:16 | Comment(2) | ├ 私の生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
■無題
いつも素晴らしいお話をありがとうございます。

私も、くじけずに、前向きに生きて行こうと思いました。泣きごとや言い訳は一切止めます。
、、、いや、時々、言いそうですが、、、
Posted by 偏食園児も怖くない!−7歳に見えるマクロビ給食先生 at 2012年06月25日 20:45
■Re:無題
>偏食園児も怖くない!−7歳に見えるマクロビ給食先生さん

コメント、ありがとうございます。
きっと誰にでも、ジンタナーさんという存在がいるのだと思います。
だってこの世は、愛に満ちているのですから。
Posted by 赤木 (幸せ実践塾塾長) at 2012年06月25日 20:59
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