「人間万事塞翁が馬」という故事があります。
中学の古典か漢文の授業で習ったと記憶していますけど、みなさんもそうですよね。
因みにこれ、「人間」を「にんげん」と読むのは間違いで、「じんかん」と読むのだそうです。
「じんかん」というのは、「世間」という意味になるのだとか。
「にんげん」でも意味は通りそうですけど、私も間違って記憶していました。
「世間のことはみな、塞翁の馬の話のようなものだ。」というお話です。
さて、その話の内容ですが、あらかた以下のとおりです。
北の要塞にお爺さんが住んでいたそうです。そのお爺さんは一頭の馬を飼っていました。
だから「塞翁が馬」と言うんです。
ある日、その馬が逃げ出してしまった。馬というのは財産ですから、大きな財産を失ったことになるのです。
村人はお爺さんを訪ねて、慰めようとしました。するとお爺さんは、平然として言いました。
「なあに、このことが幸いの兆しにならないとも限らないさ。」
しばらくすると、逃げ出した馬が他の野生馬を引き連れて、お爺さんのもとに帰ってきました。
お爺さんは労せず、以前の何倍もの財産持ちになったのです。
村人たちはお爺さんを訪ねて、口々にお祝いを言いました。するとお爺さんは、悲しそうに言いました。
「このことが災いの兆しにならないとも限らないからなあ。」
ある日、連れられてきた野生馬を調教しようとして、お爺さんの孫(息子?)が乗っていると、馬が暴れて振り落とされ、大怪我をしてしまいました。
村人たちはお爺さんを尋ねて、慰めようとしました。するとお爺さんは、平然として言いました。
「なあに、このことが幸いの兆しにならないとも限らないさ。」
しばらくすると戦争が始まり、村の若者たちが次々と兵隊として駆り出されました。そしてその多くが、戦死したのです。
しかしお爺さんの孫は、怪我をしていたお陰で兵隊にならず済んだのです。
どうでしょう?思い出されましたか?
この話を授業で聞いた時、これが何を言わんとしているのかという問題が出されました。
答の1つは、人の幸と不幸は順番にやって来るという答えでした。「禍福はあざなえる縄の如し」と言いますよね。
もう1つは、現象が起きた時点では幸か不幸かわからないという答でした。だからすぐに狂喜したり、嘆き悲しんだりするものではないと。
その当時は、「ふーん、そんなものか。」と納得しました。でも今になって考えると、別の見方ができる気がします。
馬が逃げた時、お爺さんはそのことを悲しまず、良いことが起きるかもしれないぞと思ったのです。
だから、他の野生馬を連れて戻るという、喜ばしいことが起きたのです。
でもお爺さんはそのことを、悪いことが起きるかもしれないぞと思ったのです。
だから、孫が落馬して大怪我するという、悲しいことが起きたのです。
そう考えると、お爺さんは未来を予言したとも言えます。言い方を変えると、引き寄せたということです。
と言うことは、この故事は「引き寄せの法則」を示しているとも言えるわけです。
人は、悪い出来事が起きると、さらに悪いことが起きると予想しがちなものです。
でも、それは科学的なことではありません。
宗教を信じるかどうか関係なく、そんな統計的な事実はないのです。
だとしたら、それによって悪いことが出尽くし、次は良いことが起こると考えることだってできます。
まあそれも、科学的ではありませんけどね。
ただ言えるのは、どうにでも考えられるということです。
どうにでも考えられるなら、幸せになるように考えてみませんか?
なぜなら、その方が幸せだからです。
あなたが、どうしても幸せになりたくない、と考えるなら別ですけど。
2012年06月21日
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