昨年、「伊達直人現象」と呼ばれた出来事がありました。
はじまりはある児童養護施設に、伊達直人という名前でランドセルが届けられたことでした。
それがマスコミに報道されると、全国各地の施設や役所に伊達直人の名前で、ランドセルなどの贈り物が届くようになったのです。
無縁社会から絆社会への回帰だと解説する人もいましたね。
一方で、受け取る側のことも考えずに贈られても、せっかくの善意を無にすることもあるので、事前に連絡をくれという施設側の要望もありました。
それに対して、もらう方が注文をつけるのはおかしいという意見も。
いずれにせよ、日本中で話題となった現象でした。
年配の方はご存知でしょうけど、伊達直人とは、漫画(アニメ)の主人公、タイガーマスクの本当の名前です。
私も子どもの頃、夕方になるとテレビにかじりついて見たものでした。
オープニングの主題歌も良かったですが、私はエンディングの寂しげな歌の方が好きでした。
タイガーマスクとして闘い、ファイティングマネーを得ては孤児たちの施設を維持するのにお金を送る。
そんな良いことをしているのに、どうしてあんなに寂しいのでしょうか?
それはやはり、何をしても満たされない心の寂しさがあるからだと思います。
なぜか、あの曲調に惹かれるんですよね。
長調の曲よりも短調の曲が好き。音楽の授業で長調と短調を習った時から、そんな風に思っていました。
私の心の中にある寂しさとか悲しさが、その曲に受け容れてもらった気がして、癒されるのかもしれません。
それはさておき、アニメの伊達直人は、自分がかつて暮らしていた孤児院を支えるために、タイガーマスクとして闘い、それで得たお金を寄付していました。
タイガーと自分が同一人物であることを隠し続け、孤児院ではドジな伊達直人で通したのです。
その伊達直人の生き方に、私も知らず知らずに影響を受けたのだと思います。
だから寄付をするのにも、自分からであることを敢えて知らせないという方法をとることが多いのです。
どうしてそういう方法を選択するのか、いろいろ説明はできます。
前の記事で書いたように、他人を頼らせないようにするため、というのも1つの説明です。
聖書に、右手が良いことをするのに左手に知らせてはいけないと書いてあったから、という説明もできます。
でもひょっとしたら、その説明は後付けで、本音は伊達直人と同じなのかもしれません。
それは、自分がそんなことをしていると知られるのが恥ずかしいのです。
自分はそんな立派な存在じゃないから。
自分が高く評価されると、本当の自分じゃない自分を演じなければならない気がして、それが怖いのです。
だから、人前で賞賛されたいと思いながらも、賞賛されてはいけないとも思うのです。
私もまだまだ、自己評価が低い部分を抱えているのですね。
そういう部分もあると理解した上で、自分のことを好きになろうと思います。
2012年06月18日
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伊達直人さんのことをそこまで分析されるとは。これまで自分の中にあったモヤモヤ感がスーッと去っていくような感じです。
私もエンディングが好きです。伊達直人さんの寂しげな横顔が今でも浮かんできます。
>裏通りのバーテンダーさん
コメント、ありがとうございます。
エンディングの曲、いいですよね。どこか影のある男に、憧れてきた気がします。