2012年06月14日

性欲に対する考え方が変わるきっかけがありました

私にとって性欲をどうコントロールするかということは、非常に大きなテーマでした。

前にも書いた通り 、何か歯車が狂えば、いつ犯罪者にならないとも限らないと感じていましたから。


新興宗教にハマった のが縁で、キリスト教的な考え方を学びました。

それは徹底的に性欲を抑えこむというものでした。

忌み嫌うと言ったほうが正しいかもしれません。


現にカトリックでは、コンドームの使用すら禁止するという考えを持っていました。

つまり夫婦のセックスは、純粋に子どもを授かるためにする行為であって、その行為を楽しむために行なってはならないというものです。

因みに私がハマった統一教会の教義も、そういうものでした。ですから、男女の関係には非常に厳しかったのです。



三浦綾子さんの「塩狩峠」という小説があります。

主人公の青年はクリスチャンですが、もうすぐ結婚式を迎えるという状態でした。

そんなとき乗った列車が、塩狩峠で暴走し始めたのです。

手動ブレーキをかけても止まらず、急カーブが目前に迫っています。

このまま突き進めば、列車は間違いなく脱線し、多くの人が死傷することが目に見えています。

青年はクリスチャンとして、犠牲的な生き方を選択しました。

自らを列車の車輪の前に投げ出し、身体でもって列車を止めたのです。


私はこの小説を読んだ時、中学生のころに考えていたことを思い出しました。

私も、誰かを救うために犠牲になる死に方をしたかったのです。

ですから、特攻隊にあこがれました。あんなものが現代にあればいいなと。

あるいは大久保駅で転落した乗客を助けて、身代わりになって死んだ韓国人の青年のように、自らの命を捨てることで、自分の生を意義あるものにしたかったのです。

本当に危ない思想の持ち主です。もし私がアフガニスタンなどに生まれていたら、間違いなく自爆テロの犯人になったでしょう。


それはさておき、その「塩狩峠」の主人公ですが、これはドラマの一場面ではないかと記憶していますが、性欲にかられて自慰行為をするのです。

しかし後で、そのことを深く反省します。反省と言うよりも自己卑下ですね。自分はなんと罪深い人間なのだと、自分の弱さを嘆くのです。

私は、その主人公の気持が痛いほどわかりました。

その当時の私は、やはり性欲を持つことは罪だと考えていましたから。

それでも、どうにもならないものが私の中にあるのです。

それをキリスト教ではサタン(悪魔)と言うのです。サタンからの誘惑に耐えなければ、神に相応しい人間にはなれないのだと。


でも私は弱い人間です。誘惑に打ち勝てるような強さはありません。

特に統一教会を脱会してからは、歯止めが効かなくなっていました。



そんなときに出会ったのが、「神との対話」 という本です。

そこには、セックスについても書かれていました。

以下、ちょっと長くなりますが、P279-280に書かれている文を引用します。

Iセックスはいいことですか?・・・(中略)・・・愛情のないセックスをしてもいいのでしょうか?肉体的な感覚だけを目的にセックスしてもいいのでしょうか?

もちろん、セックスは「いいこと」だ。もう一度言うが、あなたがたにゲームをさせたくなければ、玩具を与えるはずがない。あなたは遊ばせたくない玩具を子供に与えるだろうか。
セックスで遊びなさい。遊ぶがいい!非常におもしろい遊びだ。肉体的経験ということでは、身体によって得られる最もおもしろい遊びだ。
だが、頼むから性的な無邪気さや喜び、純粋なおもしろさ、楽しさを、セックスを誤用することで破壊しないでもらいたい。力を得るため、隠れた目的のためにセックスを使ってはいけない。自我を満足させるためや支配するために使ってはいけない。純粋な喜びと高度なエクスタシーを与え、分け合うという目的以外に使ってはいけない。
それが愛であり、再創造された愛とは、新しい生命だから!
・・・(中略)・・・
愛のないセックスをする人間としての自分を経験したいか?それなら、そうしなさい!もういやだと思うまで、実行すればいい。どんな行動でも止めるのは、新しく違う自分になりたいと思ったときである。


これを読んだ時、とても大きな衝撃を受けたように記憶しています。

だって今まで、大いにセックスを楽しみなさいなどという話を聞いたことがありませんでしたから。

ただこれを読んだ後で、セックスを楽しむことを推奨する考え方が古来からあることを知りましたけど。

いずれにせよ、「悪いこと」と思い込んでいた私にとって、これは衝撃でした。


しかし、そのあとの部分はよくわかりませんでした。結局、愛のないセックスをすることが良いことなのか悪いことなのか、読んでもよく理解できなかったのです。

性欲をコントロールすべきなのか、欲望のままに任せて良いのかも、よくわかりませんでした。

ただ、ここには何かあるという感じを持っていました。

このときはまだ、これが私が変わるきっかけになるとは、想像もしていなかったのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:27 | Comment(0) | ├ 私の生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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