2012年06月13日

レイプすることを何度も考えました

私は自分のことを、人一倍性欲が強いと思っていました。

性欲が強いのであって、精力旺盛ということではありませんからね。あしからず。


とは言え、別に誰かと比べて、客観的に統計をとったわけでもありません。

そんなこと男同士だって、そうそう話せることではありませんから。

なので主観的にそう思っているだけで、実は他の男性も同じようなものかもしれません。

表面的に見ると、たいていの男性は私よりも性的なことに興味がなさそうに思えました。



私が性的なことに興味を持ったのは、すでに書いたように 小学校に上がる前からです。

小学校になってからも、女性の裸には異常に興味を持ちました。

下着の通販カタログがありましたが、下着姿のモデルの写真を切り取ったりしてましたから。

さらにその顔を、アイドルの顔写真とすげ替えたりして遊んでいたのです。

オタクそのもの。いや、そう言うとオタクの方に申し訳ないくらいです。


中学にもなると、さらに関心が強くなります。

友達の家に行くと、なんとエロ雑誌やビニ本などがあるのです。

それを食い入るように見ていました。

「そんなに真剣に見るなよ」と、友達からからかわれるほどでした。


当時の野球部の監督が、どうやったら子どもができるかということを教えてくれました。

おそらくそのとき、初めてセックスというものを知ったのだと思います。

それまでは精子と卵子が結合してできることは知っていましたが、ひょっとしたら一緒に入浴した時に、精子がお風呂の中を泳いで行って受精するのかも、などとたわけたことを考えていましたから。

当時はまだAVなどというものがなかったので、夜中のテレビ番組の濡れ場を見て、どういうことをするのかと想像していました。



そんな私ですから、何度も自分がそういう行為をするところを空想してみましたよ。

その中には、嫌がる女性をレイプするなんて妄想もありました。それも何度も。

大久保清の連続婦女暴行殺人事件があったのは、昭和46年頃でしたね。私が小学校の高学年のころです。

私も一歩間違えば、そういう犯罪者になった可能性は十分にあるのです。


女性に対する関心は強いものの、女性に告白する勇気はない。

そんな性格ですから、妄想ばかりがたくましくなります。

これを何とかしないと、本当に私は犯罪者になってしまうかもしれない。

そんな不安を、いつも抱えていたように思います。



前にも書きましたが、新興宗教にハマって 集団生活をしていたときは、残念ながら本当に健全でした。

「残念ながら」と書いたのは、入信前の私は、もしそうなら体験してみるのも悪くないという、邪(よこしま)な考えを持っていたからです。

しかし実際は、本当に清らかな生活でした。

そのことによって、私の心の中では、さらに矛盾を突きつけられることになったのです。


人間(私だけかもしれませんが)は、どうしてこんなにも性欲が強いのだろうか?

もし本当は清らかでなければならないのだとしたら、どうして最初からそういうようになっていないのか?

その思いが、私を苦しめたのです。


動物はどうなのだろうかと、何度も考えましたよ。

動物だって発情したら、誰かれ構わずにやってしまうのではないか。だとしたら人間だって、同じではないか。

でも、それでいいのか?人間と動物は違うのではないか。

それでも自分の性欲がこんなに強いのは、自分が動物に近いということか?それともこれも、前世の因果だとでも...。


このことを解決しないと、私は心の中にドロドロとしたものを抱えたまま生きなければならない。

その重苦しい気持をどこかで抱えながら、ずっと生きてきたのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:55 | Comment(0) | ├ 私の生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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