出来事と感情の間にはすき間があり、そこに考え方があります。
その考え方が習慣化すると、それは価値観となります。
価値観になると、それこそ無意識のうちに反応してしまうでしょう。自分が考えたと気づかないのです。
それでも考え方を意識して変えていくことを繰り返せば、いつか新しい習慣が身につきます。
つまり新しい価値観を手にすることができるのです。
そこでブレーキをかけるのが、不安です。怖れとも言います。
これは愛の対極で、つまり愛がない(と思っている)状態のことだと説明しました。
この不安を取り除かないと、どうしても考え方が引きずられてしまいます。
依存症という言葉がありますが、依存してしまうのは不安があるからです。
それが耐えられないから、何かにしがみつこうとする。つまり執着することが依存です。
その何かが、自分にとって必要なものだと感じてしまうのです。
その強さが強いほど、依存する心も強まります。
このことから言えるのは、必要性というものを減らしていくことが、考え方をコントロールする上でカギになるということです。
たとえば、パートナーに依存してしまう人は、そのパートナーがいないと生きていけないと信じきっています。
でも、考えてみてほしいのです。
本当に、そのパートナーがいないと生きていけませんか?
心の中の不安を、じーっと見つめるのです。
不安というものは存在しませんから、見つめられると消滅する他ありません。
別にそのパートナーでなくても、他にも同じような人はいくらでもいるでしょう。
また、そういうパートナーがいなくても、本当は生きていけるのではありませんか?
現にパートナーと出会う以前は、生きていたではありませんか。
失うことによる喪失感はあるでしょう。でもそれは一時的なものです。卒業するときは悲しくても、入学すれば嬉しくなります。それと同じです。
たいていのものは、そうやって考えていくと必要でないことがわかります。
あとはそのレベルを上げていくことです。
「これだけはどうしても」というこだわりを感じた時、あなたの必要性をチェックするチャンスです。
そのこだわるものは、本当に必要ですか?
最終的には、生命の必要性、生命維持の必要性が残ると思います。
そうなると、あとは信仰の世界に入ります。
もし私が言う「ひとつのもの」理論 を信じるなら、生命の必要性すら感じなくなるでしょう。
なぜなら、生きないということは不可能だから。死ぬということは不可能 だから。
私たちにできるのは変化することだけ。その変化を受け入れることができれば、もう何も必要ではなくなるのです。
一気に最後の段階に至るのは難しいと思います。
でも、無理にそうなる必要性もありません。
この世は楽しむ場ですから、楽しんで生きることです。
なかなか必要性を排除できない自分自身をも、受け入れて楽しみましょう。
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