私の車ではありませんが、知り合いの車を借りて運転していました。
雨上がりの午後だったと思います。
私は、信号のある交差点に向かっていました。
国道2号線を横断して、向こう側へ行きたかったのです。
信号が青になったのですが、前の車が左折しようとして止まっています。
そこには横断歩道はなかったと記憶していますが、人か自転車が横断しようとしていたのかもしれません。
幹線道路に入る側の信号は、青が短く赤が長いのです。
「もうすぐ変わってしまいそうだ。」
少し焦った私は、前の車を追い越そうとして、右にハンドルを切ったのでした。
そのときでした。前の車の陰から、スクーターが向かってくるのが見えました。
おそらく、向こう側から直進してきたバイクでしょう。
前の車に隠れていて、私はまったく気づかなかったのです。
「危ない!」と思って、私は急ブレーキを踏みました。
するとそのバイクは、スーッと滑るようにして転けたのです。
バイクは、私の車のほぼ真横あたりで転倒していました。
私が運転席から見ると、おばさんが運転していたようです。
「大丈夫だろうか?」と思って見ていたら、その女性はむくっと体を起こし、私の方を睨みつけました。
私は、そのまま止まりもせず、交差点を渡って行きました。
「だって、ぼくが悪いんじゃないもん。ぶつかってないし。」
「だいたい、ちょっと飛び出しただけじゃないか。避けられないほど飛び出たわけでもないし。」
「あのまままっすぐ進んだって、ぼくの車にぶつかることはなかったのに。」
「おばさんだから、バイクの運転が下手なんだよ。前ブレーキばかりかけるから、ロックして転倒しちゃうんじゃないか。」
そんな言い訳を考えながら、私は運転し続けたのです。
私もオートバイに乗りますから、オートバイの危険性はよくわかっています。
私自身も、前のタクシーが急に止まったために、急ブレーキをかけてタイヤをロックさせ、転倒したことがありました。
タクシーはそのまま走り去り、悔しい思いをしたこともあったのです。
そのときの状況が、私にどれだけの落ち度があったのかわかりません。
警察を呼んで実況見分することもなかったため、客観的なデータはないのです。
ただ言えることは、私の挙動がきっかけとなって、その女性がバイクごと転倒したという事実です。
そしてその女性が私を睨みつけたことからも、その女性は私を恨んだということです。
さらに言えば、私自身も、自分が悪かったかもしれないと思ったということです。
そう思ったからこそ、あれやこれや言い訳を考えなくてはならなかったのです。
この出来事は、いまだに私の心の中から消えません。
それだけ、私自身が苦しんできたのです。
自分が怪我をしたような事故も何度かありますが、それは思い出しても苦しくはありません。
しかし、自分が誰かを傷つけたことは、何度思い出しても苦しいのです。
あのとき、車を停めて詫びれば良かった。その後悔は、消えることがないのです。
ただ今は、その体験もありがたいことだと思います。
そうやって何度も思い出しては苦しむから、私は二度とそのようなことをしないだろうと思うのです。
あのおばさんが痛い思いをしてくれたお陰で、じっと睨みつけてくれたお陰で、私はそう思うことができるのです。
【├ 私の生い立ちの最新記事】