子どもの頃から私は、人の顔色をうかがう生き方をしてきました。
今になればはっきりわかりますが、要は愛されたかったのです。
承認されたい、褒められたい、声をかけてほしい、友達になってほしい、恋人になってほしい、...。
すべて、愛されることを求め、愛が得られることを期待していたのです。
しかし、そういう生き方は疲れます。
私も、ほとほと疲れました。
それであるとき、他人に期待するのをやめようと思ったのです。
これはある意味で、一大決心でした。
だって、一番欲しいものを「要らない」と言うことと同じですから。
きっかけはおそらく、他人に無関心な人との出会いだったと思います。
私だったらすぐに気を使ってしまうような場面でも、まったく我関せずという態度をとるのです。
これには驚きました。
「えーっ、どうしてそんなに無関心でイられるのー!?」
でも、そういう人がいることは事実です。
そういう事実があるということは、そういう生き方もあるということ。
私は、ひょっとしたら自分にもできるのではないかと思いました。
そして、期待することをやめることで、楽になるように思ったのです。
しかし、実際にやろうとしても、それはとても難しいことでした。
どうしても周りの人のことが気になってしまうのです。
愛されたいという思いは、なくなることがありません。
疲れないためには期待することをやめなければならない。
そう理屈ではわかっても、心も身体もついて行かないのです。
今にして思えば、それが習慣というものだったのでしょう。
タバコをやめたいと思っても、吸うことが習慣化していると、なかなかやめられません。
それと同じことです。
そしてタバコには、吸わなくなると枯渇感が沸くような物質が入っています。
実は考え方の習慣においても、同じようなことがあるのです。
それが、不安というものです。
期待することをやめようとしても、愛されたいという思いが消えない。
なぜなら、愛されないということに対する不安があるからです。
だからその不安を取り除いてやらないと、なかなか習慣が変わりません。
もちろん禁煙と同じで、簡単にやめられる人もいます。その一方で、何度トライしても失敗してしまう人もいます。
人は十人十色ですから、みんなが同じようにできるわけでもないのです。
ただ、喫煙が習慣化する仕組みを理解すると、対策も講じやすくなります。
的確な対策を講じるなら、より多くの人が容易に禁煙に成功することも確かです。
愛を求めることに疲れているなら、ここでその重荷を下ろしませんか?
期待しない生き方をすることで、もっと楽に生きられるようになります。
その理論を知って、あとはその考え方を身につけるのです。
2012年06月07日
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