昔の人は、本当に良いことを言いますね。
「人の口に戸は立てられぬ」
口をふさいで黙らせることはできないということを、こんなしゃれた表現で言うなんて、見事だと思います。
「人の噂も七十五日」ということわざもあります。
噂なんてものは、聞き流しておけば2ヶ月半で収束するというものです。
だから反論したりせず、無視を決め込むに限るというわけです。
私が尊敬する歴史上の人物に、勝海舟という人がいます。
この人は幕府に直接仕える旗本の下級武士だったのですが、相当に頭は良かったようです。
そういう身分にありながら、常に幕府のこと、日本のことを考えていたのです。
NHKの大河ドラマ「篤姫」をご覧になられましたか?
お篤を演じる宮崎あおいさん、きれいでしたね。
いや、そういう話題じゃなくて、多くの人がこの危機を何とかしなければ日本が滅びると考え、身を捨てて行動した時代だったのです。
そして勝海舟もまた、その中の一人だったのだと思います。
明治維新後の勝海舟は、請われて新政府(明治政府)に出仕することになりました。
幕臣としては、新政府に協力することは、ある意味で恥ずべきことだったと思います。
それでも自分の才能を役立てることこそ日本のためと思い、勝はあえて泥水を飲んだのです。
それに対して福沢諭吉が、「痩我慢の説」の中で勝を批判します。
武士は二君に仕えずというのに、忠義心のかけらもないと言うわけです。
もちろん福沢の言い分にも道理があります。
それに対して勝は、公に反論することはありませんでした。
勝が身近な人にもらしたのは、次の言葉です。
「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張。我に与らず、我に関せずと存候。」
行蔵(こうぞう)とは、出処進退のこと。毀誉(きよ)とは、ほめたりけなしたりすること。
つまり、噂や批判(賞賛も)は、他人が勝手にやることで、自分には何の関係もないことだと言うのです。
自分がどう考え、何をするかは、常に自分自身が決めることだから。
この話を知った時、私は孟子にあった言葉を思い出しました。
「自ら反(かえ)りみて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も吾往かん。」
意味は、自分の心によくよく問うて進むべきと思ったなら、仮に千万人という大勢の人が私に反対し、批判し、抵抗したとしても私は進もう、という力強い決意です。
他にも、佐藤一斎の言志録にも、良い言葉がありますね。
「当今の毀誉(きよ)は懼(おそ)るるに足らず。後世の毀誉は懼る可(べ)し。一身の得喪(とくそう)は慮(おもんばか)るに足らず。子孫の得喪は慮る可し。」
だいたいわかりますよね。
今の評判は気にするな。後々の評判を気にかけなさい。自分自身の損得は考慮するな。子孫の損得を考慮しなさい。という感じになります。
つまり今、自分がどう思われるかとか、得するかどうかなど気にせず、本当に良いことなのかどうか、大勢の人にとって得なことなのかどうかを考えろということです。
昔から、言われてきたことです。
他人からどう思われるかなど、まったく気にする必要はありません。
だから「空気を読め!」という人には、「行蔵は我に存す」と言ってあげましょう。(冗談ですよ)
「しあわせは いつも自分の こころがきめる」
(相田みつを氏の言葉)
他人に決めさせてはいけません。自分が決めるのです。
2012年06月06日
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