未曽有の大災害だった東日本大震災。その死者や行方不明者は、およそ3万人と言われています。
入学式直前だった子ども、結婚式が目前だったカップル、たまたま旅行に来ただけの人など、おそらく絶対に死にたくなかっただろうと思われる多くの命が、無残に奪われてしまいました。
2度とこんなことが起こらないようにと、今、国をあげて災害対策を行おうとしています。
その一方で、見捨てられてきた命があります。
年間3万人以上の自殺者です。
もう10年以上も、毎年毎年、3万人以上の人が自殺しているそうです。
かつて交通事故の死者が年間1万人を超えていた時、マスコミは交通戦争と言って騒ぎました。
1万人もの死者が出るのは、戦争くらいしかないという例えです。
もしその比喩を使うとするなら、今は自殺戦争ではありませんか?
もちろん、事情が異なることはわかっています。
交通事故も災害も、死にたくない人が死んだのです。
一方の自殺は、死にたいから死んだ...。
違うのです。
それは一面的な見方です。
自殺した人も、本当は死にたくなかった。
でも、死ぬしかなかったから死んだのです。
それぞれ事情が異なるから、同じ自殺だとしても対策は異なると、多くの人は考えるかもしれません。
でも私は、事情は異なっても理由は1つだと思っています。
それは、絶望したからです。
生きていることに意味がないと感じたからです。
どうして、その人は絶望しなければならなかったのでしょうか?
おそらくその人は、幸せになれなかったのでしょう。
幸せになりたいと思ったけど、なれなかった。
あるいは生きていると幸せになれないから、死を選んだのではありませんか?
幸せなんて、本当は今すぐ、この場で、誰でもなれるのに。
他人も環境も、自分さえも変えなくても、幸せにはなれるのに。
そう思うと、私は残念で仕方がないのです。
このことを知っていれば、きっと多くの命が救われるはず。
そうわかっているのに、それを伝えられずにいることが歯がゆいのです。
2012年06月03日
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