教義を信じて前に進みたくても、その活動をする苦痛を避けたい。
でも活動をやらなければ、神からは認めてもらえない。
そのジレンマに耐えられなくなった私は、引きこもることしかできなくなったのです。
その間、様々なことがありました。
最終的に私は、原理研究会(=統一教会)から去ることを決めました。
親が残してくれた下宿が、そのとき役立ちました。
ともかく寝る場所がある。まずは集団生活している場所から逃げ出し、下宿で暮らすようにしよう。
4畳半の下宿で寝ながら、私は仲間が探してくれるのを待っていたのかもしれません。
1週間経っても誰も来ず、私は完全に足を洗うことを決めました。
「そうだ、人生をリセットしよう。」
私は広島大学を中退し、他の大学を再受験することにしたのです。
もう親にお金を出してもらうわけには行きません。
新聞奨学生に応募することを思いつき、問い合わせをしてみました。
すると、読売新聞のたしか西日本支社のKさんと言われる方が、私と会いたいと言ってきました。
その方は、私が以前に申し込んだことを覚えていると言うのです。
私はすっかり忘れていたのですが、ひょっとしたら高校生の時、パンフレットを取り寄せたかもしれません。
Kさんと話をし、今度は政治の勉強をしたいのだと言うと、それなら東京の大学へ行けと言います。
私は臆病だったので、そんな大都会へは行きたくなかったのです。だから大阪あたりで、と考えていたのです。
これも何かの縁なのでしょうね。
もしKさんに勧められなければ、私は東京へ出ることもなかったでしょうから。
Kさんは親切に教えてくれました。
新聞奨学生 と言っても、配属される販売店によって待遇がまったく違うということを。
だから、自分が信頼できる店が川崎市にあるので、そこから通えるように東京の大学にしなさいと。
再入学を決めたのは、おそらく3年次の12月か1月くらいだったと思います。
1年後に試験を受けるのですが、それならもう今の大学は辞めようと思いました。学費が無駄になりますから。
それで大学の担当教官に話すと、もし学費を払う余裕があるなら、もう1年、籍だけ残しておけと言います。
次の大学を卒業したとしても、就職する時、あらぬ疑いを持たれるからと言うのです。
広島大学を辞めさせられたから、別の大学に入り直したのではないかと。
私は、もうそんな先のことまで考える余裕はなかったのですが、親も学費は払うと言うので、その教官の言う通りにしました。
今になって思えば、その教官も心から私のことを心配してくれたのですね。ありがたいことです。
1年間、ビル警備のアルバイトなどをしながら、受験勉強をしました。
もう後には引き返せない。
ラジオのオールナイトニッポンを聞きながら、警備室で勉強したものです。
定年退職した親父さんたちが同僚ですが、みなさん、私のことをかわいがってくれました。
こうして、新興宗教にハマった大学生活が終わったのです。
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