2012年06月01日

新興宗教にハマりました3

前回の続きです。(最初の記事はこちら

教義を信じて前に進みたくても、その活動をする苦痛を避けたい。

でも活動をやらなければ、神からは認めてもらえない。

そのジレンマに耐えられなくなった私は、引きこもることしかできなくなったのです。


その間、様々なことがありました。

最終的に私は、原理研究会(=統一教会)から去ることを決めました。


親が残してくれた下宿が、そのとき役立ちました。

ともかく寝る場所がある。まずは集団生活している場所から逃げ出し、下宿で暮らすようにしよう。

4畳半の下宿で寝ながら、私は仲間が探してくれるのを待っていたのかもしれません。

1週間経っても誰も来ず、私は完全に足を洗うことを決めました。



「そうだ、人生をリセットしよう。」

私は広島大学を中退し、他の大学を再受験することにしたのです。

もう親にお金を出してもらうわけには行きません。

新聞奨学生に応募することを思いつき、問い合わせをしてみました。


すると、読売新聞のたしか西日本支社のKさんと言われる方が、私と会いたいと言ってきました。

その方は、私が以前に申し込んだことを覚えていると言うのです。

私はすっかり忘れていたのですが、ひょっとしたら高校生の時、パンフレットを取り寄せたかもしれません。

Kさんと話をし、今度は政治の勉強をしたいのだと言うと、それなら東京の大学へ行けと言います。

私は臆病だったので、そんな大都会へは行きたくなかったのです。だから大阪あたりで、と考えていたのです。


これも何かの縁なのでしょうね。

もしKさんに勧められなければ、私は東京へ出ることもなかったでしょうから。

Kさんは親切に教えてくれました。

新聞奨学生 と言っても、配属される販売店によって待遇がまったく違うということを。

だから、自分が信頼できる店が川崎市にあるので、そこから通えるように東京の大学にしなさいと。



再入学を決めたのは、おそらく3年次の12月か1月くらいだったと思います。

1年後に試験を受けるのですが、それならもう今の大学は辞めようと思いました。学費が無駄になりますから。

それで大学の担当教官に話すと、もし学費を払う余裕があるなら、もう1年、籍だけ残しておけと言います。

次の大学を卒業したとしても、就職する時、あらぬ疑いを持たれるからと言うのです。

広島大学を辞めさせられたから、別の大学に入り直したのではないかと。

私は、もうそんな先のことまで考える余裕はなかったのですが、親も学費は払うと言うので、その教官の言う通りにしました。

今になって思えば、その教官も心から私のことを心配してくれたのですね。ありがたいことです。


1年間、ビル警備のアルバイトなどをしながら、受験勉強をしました。

もう後には引き返せない。

ラジオのオールナイトニッポンを聞きながら、警備室で勉強したものです。

定年退職した親父さんたちが同僚ですが、みなさん、私のことをかわいがってくれました。

こうして、新興宗教にハマった大学生活が終わったのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:14 | Comment(0) | ├ 私の生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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