原理研究会に入った私は、仲間と集団生活をすることになりました。
まるで合宿をしているような楽しさがありました。
男女が何人かのグループでマンションの一室などを借り、そこで寝起きを共にします。
期待した乱交パーティーなどは、まったくありませんでしたね。(笑)
それどころか男女関係に関しては、おそらく他の宗教団体よりもはるかに厳しいと思います。
私たちメンバーは兄弟姉妹であって、男と女の関係になることは堕落することだとされたのです。
堕落というのは、決定的な教義違反であり、救うことのできない失態です。
世間の人は、男女が同じ屋根の下で暮らせば、男と女の関係になるのは必然というようにしか、考えられないのでしょう。
この経験は私に、世間の人の考えというのは、意外と正しいことではないということを教えてくれました。
仲間との集団生活は楽しかったのですが、勧誘とかの活動は、私にとっては苦痛でした。
そうするうちに徐々に、私は心が枯渇していったのです。
いったい何のためにそんな活動をやらなければならないのか、疑問も湧いてきました。
神は喜ぶためにアダムとイブを作った。けれど、イブは神を信じられず、アダムを誘惑して性的な関係を持ってしまった。
そのイブの堕落が人間の原罪となり、今に至っているのだと、教義では説明していました。
私は思ったのです。「そんなの、神のエゴじゃないか!?」
自分が勝手に子どもを作り、その子どもが言うことをきかなかったから罰する。
そんな理不尽なことがあるものか。だったら最初から、罰さなくてよいようにこの世を作ればいいじゃないか。
神は全知全能ではないのか?どうしてその神が、そんな不出来なことをするのか?
内気で、傷つきやすく、自信のない性格だった私です。
初めての人に会って、入会しないかと説得するなどという活動は苦手です。
それなのに、それをやらないと神からは認めてもらえない。
そのジレンマに、私はだんだんと耐えられなくなりました。
ライオンの親は、我が子を千尋の谷に突き落とし、這い上がってきた子だけを育てると言う。
それが神の愛だと言うのだろうか?
私は弱い子どもだ。強い子のように、崖を這い上がる力も気力もない。
親から見捨てられ、谷底で死んでいくだけだ。
親はそれでもかまわないと思っているのか?それでも這い上がった強い子と一緒に、喜べるのか?
親ライオンよ!神よ!それがあなたの望みか!?
私は、朝になっても起きなくなりました。
朝起きて、みんなと一緒に祈ることが苦痛になったのです。
またそうしていじけていれば、先輩から優しくしてもらえるのではないかと、期待した部分もありました。
本当に、愛に飢えていたのだと思います。
私の引きこもり生活は、このような集団生活の中で始まったのです。
当然、大学の授業にも出なくなりました。
この英語の試験をパスしないと留年するとわかっていて、結局、試験に出席しませんでした。
「どうせ落ちる。」
勉強もしていなかったから、受かる気持ちが出てこなかったのです。
前にも進めない。かと言って、後戻りすることもできない。
ただじっと、そこにうずくまっているだけ。
こうしていて、将来どうなるのだろうか?
考えても、考えても、答は見いだせない。
神よ!これもあなたが与える試練なのか?私はもう一歩も進めません。お願いだから、私を助けてください。
そう祈っても、神は何も答えてはくれませんでした。
<続く> → 「新興宗教にハマりました3」
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