優しくしてくれるおばあちゃんが大好きだったのです。
あれは小学校の2〜3年くらいだったでしょうか。夏の朝、私は蚊帳の中で目を覚ましました。
まだ朝早かったのですが、隣に寝ていた祖母が起き上がり、濡れ縁の方へ出て行ったのです。
田舎ですから、窓は開け放していました。祖母は、朝の清々しい空気を吸いに行ったのでしょう。
私が布団の中から様子をうかがっていると、祖母は突然、スーッと倒れたのです。
ドシーン!
私は慌てて布団から飛び出し、蚊帳をめくって外に出て、祖母のもとに駆け寄りました。
祖母は倒れたまま、返事をしません。私は2階で寝ている両親を呼びに、階段を駆け上がりました。
「おばあちゃんが、おばあちゃんが...」
くも膜下出血か脳卒中か知りませんが、祖母はその影響で半身不随になりました。
祖母が退院して戻ってきてから、母の介護生活が始まったのです。
半身が動かないものの、祖母は以前よりも優しくなったように思いました。
それから祖父が亡くなり、私も中学生になりました。
その頃から、祖母は認知症になったようです。
当時は単にボケと言っていましたけど。アルツハイマー病が有名になる前のことです。
半身不随ながら、徘徊することもありました。
そしてだんだんと、呼びかけにも素早く答えられないくらい、症状が重くなったのです。
そんなある休みの日、母は私に留守番を頼みました。
「おばあちゃんの面倒をみてやってね。おしっこに行かずに止まってたら、行くように言ってあげて。」
私は、祖母の面倒を見るのが嫌でした。
でも、特に何も予定がなかったので、留守番を引き受けざるを得なかったのです。
1〜2時間もしたころ、祖母がトイレに行こうとして立ち上がりました。しかし、そのまま立ち止まっています。
「おばあちゃん、早うトイレに行きんさいや。」
そう言っても、返事はありません。私はテレビを見ていましたが、祖母は何を考えているのか、まったく動こうとしません。
私は怒りました。
「おばあちゃん!早う行きんさいや。漏れるで!」
徐々に激しく、今にも叩かんばかりに、祖母を叱りつけたのです。
何度か怒鳴りましたが、祖母は無反応です。そのうち、祖母の足元が濡れ始めました。
「あーあ、やっぱり漏らした。だから早う行きんさいって、何度も言うたろうがな。」
私は、祖母を放っておくことにしました。
祖母は小便を漏らしたまま、その場に突立っていたのです。
しばらくして、母が戻ってきました。私は玄関まで駆けて行き、母に言いました。
「おばあちゃん、漏らしたで。何度言うても聞かんのんだけえ。」
母は、しょうがないなという感じで、祖母の世話をしに部屋へ入って行きました。
そんなことがあって、どれだけの月日が過ぎたでしょうか。
いよいよ祖母も危ないという夜、私は寝ているところを母に起こされました。
祖母が寝ている部屋に行くと、家族や近所の親戚の人が集まっていました。
しばらく様子を見ていると、祖母の呼吸がときどき止まるようになりました。
数秒間、息が止まった後、また呼吸を始めるという感じです。
促されて私は、祖母の口を水で湿らせた綿で、拭いてあげました。
それから少しして、祖母の呼吸はついに戻らなくなったのです。
誰かが和紙を割いたものを祖母の鼻の前に垂らし、呼吸がないことを確認していました。
祖母は亡くなったのです。
私は、ずっと後悔していました。
あんなに大好きだったおばあちゃんなのに。ボケて言うことを聞かなくなったからといって、あんな風に邪険に扱わなくても良かったのに。
優しくしてあげられなかったことが、ずっとずっと心に突き刺さっていたのです。
それから時が流れ、私は東京の大田区にある河川敷で、軟式野球を楽しんでいました。
季節は春。桜が満開で、花見の客が大勢来ていました。
私たちも野球を楽しんだ後、桜の下で弁当を食べたのです。
そこへ、一組の家族がやってきました。
お父さん、お母さん、子どもたち、そしておばあちゃん。
お父さんとお母さんは弁当などの荷物を持ち、場所を確保することに心を奪われています。
小さい子どもは、お母さんが手を引いています。
おばあちゃんは最後の方を歩いてきますが、土手は足元が悪く、歩くのに苦労していました。
それを見た瞬間、私は思わず立ち上がり、おばあさんのもとへ駆け寄ったのです。
「足元が悪いですからね、手を引きましょう。」
そう言っておばあさんの手を取り、ゆっくり、ゆっくり、一緒に歩いてあげたのです。
お父さんとお母さんのいるところまで案内しましたが、2人は怪訝そうな顔をしています。
おばあさんは、何度も頭を下げてお礼を言っていました。
私は微笑んで、仲間のいるところへ戻りました。
ただ嬉しかったのです。何も考えていないのに、サッと身体が動いたことが。
胸につかえていたものが、軽くなった気がしました。
きっと私の祖母も近くにいて、微笑んでいるに違いない。そう思ったのです。
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