一時的にうまく行っても、最終的にはフラれて終わるのです。
そんな私でも、昨年(2011年)11月に結婚できました。
50歳にしてやっと結婚できた理由を、私なりに整理してみましょう。
相手は22歳年下のかわいらしいタイ人女性です。
「おまえ、犯罪だよ。」「田舎に連れて帰って、一緒に街を歩けるのか!?」
などと友達からは、手荒い祝福を受けました。
3人の親友は、それぞれとうの昔に結婚していますから。しかもそのうちの2人は再婚です。
私だけが昨年まで、未婚だったのです。
45歳ころに、私は悲劇的な破談を経験しました。
そのとき私は、相手の女性を恨む生き方ではなく、それでも愛する生き方を選択しました。
それが、私らしい生き方だと思ったからです。
そして、結婚することにこだわるのをやめました。
どうでも良いと思ったのです。
「結婚したくない」でもないし、「結婚したい」でもありません。
強いて言うなら、すべてを天に委ねる気持ちです。
破談から数ヶ月後のある日、以前から知り合いだった女性から、付き合ってほしいと交際を申し込まれました。
私は、すぐにOKしました。
どうでも良かったからです。
言葉にすると投げやりな感じですが、そうではありません。大したことではない、という感じです。
ただし、私は縛られないということを宣言しました。
お金もあげないし、私がやりたいことをやるからと。
結婚(交際)という果実を得たいがために、自分を偽ることをやめようと思ったのです。
後になって彼女が言うには、最初は冗談で交際を申し込んだのだそうです。
付き合っているうちに、だんだんと好きになったのだと。
約3年ほど交際したころ、私の帰省の時に、彼女も日本へ行きたいと言い出しました。
交際はしていますが、結婚の話はまだしていません。そんな状態で、実家に連れて行くことはできません。
それで彼女に、実家に一緒に行くなら、せめて正式に婚約しないと無理だと伝えたのです。
将来、結婚したければしても良いし、したくないならしないでもかまわない。それが私の気持ちでした。
しばらく考えて、彼女は結婚すると言ってきました。
約1年後の日程をお坊さんに占ってもらい、正式に婚約したのです。(※タイではそうやって、結婚の日取りを決めます。)
それでも私は、半分しか信じていませんでした。
なんと言っても、結婚式の3ヶ月前に破談になるという経験をしていますから。
ただ彼女を疑うという気持ちではなく、どうなっても良いと思うようにしたのです。
このまま結婚するならそれで良いし、仮に彼女が私を裏切ったとしても、それもまた良いと受け入れようと思いました。
良いとか悪いとか判断せず、彼女をそのまま受け入れようと思ったのです。
考えてみれば、愛するとはそういうことなのですよね。
私は、彼女を愛そうと決めたのです。
こうして私と彼女は結婚しました。
歳の差もあるし、文化も育った環境もまったく違う2人です。
タイ語で会話をしますが、私はそれほど流暢にはしゃべれないので、伝わらないことも多いです。
でもそれを、良いことだと思っています。
違いがあるのが当然だから、許せるのです。
言葉で正確に伝えられないから、受け入れるしかないのです。
そして、そういうことを教えてくれる彼女は、私にふさわしいパートナーだと思います。
彼女との出会いによって、私は本当の意味で愛することを知った気がします。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
私の好きなことわざです。
結果を気にせず、力を抜いて、飛び込んでみること。
水の感触を味わい、ただその中に居ること。
そうすれば、浮こうと思わなくても浮いてくるのだと。
私でもできたのですから、誰でもできると思います。
愛されることを求めるのではなく、ただ愛することを望む。
それが、50歳で結婚できた理由だと思っています。
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こんばんわ。
そうだったんですね。東京でチャーミングな奥様を拝見しましたが、そんなに年が離れていたなんて・・。最近「年の差婚」をよく耳にしますが、これはすごいことですね。
まだ半年くらいしかたっていないということは、まだ「ご結婚おめでとうございます」も遅くないですよね!
「結婚するならそれでよし、裏切られても受け入れる」
これってなかなか到達できない考えだと思います。
本当に、人の縁ってわからないものですね。
最近の僕も、「無理に自分を取り繕って生きるより、今の自分をさらけだして、それでもいいという人と交流する方がいい」
なんて思っています。結局自分にウソをつかないといけないから、しんどいんですよね。
>【広瀬つみき】2・3歳の子育て専門★幼児教育アドバイザーさん
お祝いの言葉、ありがとうございます。
自分をさらけ出すと楽になるというのは、本当ですね。
もちろん、批判に耐えるということも、必要になってくるでしょうけど。