本当に、男として生まれたことを恨みましたよ。
だって女性は、男性から声が掛かるのを待っていれば良いのですから。
最近は事情が違うでしょうけど、思春期のころの私はそう思っていました。
最初の失恋は、中学3年生のときです。
小学校に上がる前から好きだった初恋の女性に告白し、みごとにフラれました。
約10年間、大好きだったのです。
ずっとその子のことだけを思ってきたのです。
しかし中学を卒業すると離れ離れになる。それで意を決して告白したというわけです。
と言っても、交換告白ですけどね。友達と、それぞれが好きな女性に、代わりに告ってあげるという方法。
こんなことをしていたら、フラれるのも当然ですね。
モテない男の典型です。
それからすぐ、懲りずに他の同級生を好きになり、これもフラれました。
おそらく初恋の人のことを忘れるために、無理やり誰かを好きになりたかったのでしょう。
次は、「辛い失恋もありました」 で書いた大失恋です。
これは本当に辛かった。
この大失恋があったから、のちの悲劇に耐えられたと、ある意味で感謝しています。
それからしばらくして、東京の短大で軟式野球をしている女性を好きになりました。
しばらく交際して順調に行っていると思ったら、突然またフラれました。
二股かけられていたようで、本命に絞ることにしたというもの。
「ふざけるな!」でしょ?
しかも、私が遠慮して「恋人候補にしてよ」と言って申し込んだことの揚げ足を取って、「まだ候補なだけで付き合っていないから」などと言うのです。
温厚な私も怒りましたよ。「キスまでしておいて、それで付き合っていないとでも言うのか!?」
まあ、怒ったところで事態が変わるわけでもありませんけどね。
なんて女運が悪いのかと思いました。
それからも、まだフラれ続けます。
デートはしても、単に友達としか思ってもらえない。
アッシーくんとかミツグくんという言葉が流行ったころ、意図せず、それに近い都合の良い存在だったようです。
就職してから好きになった女性は、後輩からも後押しされたのに、あえなく撃沈しました。
挙句はフィリピンパブに通うようになり、フィリピーナを好きになったのですが、それもフラれました。
1人目は岡山で出会った娘で、今思えばみごとにハマってしまってましたね。
相手にはその気がまったくないのに、完全にミツグくんをやってました。
彼女がフィリピンに帰った時に合わせて、わざわざマニラまで行きましたよ。
彼女が曖昧な返事しかしないから、行けばなんとかなると思って。
ほんと、バッカですねー。
結局、会うこともできずに帰ってきたという、まったく愚かな男です。
2人目は、東京で仕事をしていたとき、大塚のフィリピンパブで出会った娘です。
この娘も、何度もデートをしたし、同伴出勤にも付き合いました。
タイに来る直前にプロポーズしたのですが、やはりダメでしたね。
何度も同じようなことを繰り返していたのです。
タイに来てからも、タイ人の女性からフラれています。
カラオケ(日本で言うならキャバクラ)で知り合った女性で、これもまた相当つぎ込みました。
仕事を辞めさせて、月々の生活費をあげて、さらに自動車の頭金や、小売店を開く準備資金も。
それなのに煮え切らない彼女の態度に、私は業を煮やしてしまいました。
「結婚する気がないなら、もう恋人関係を解消しよう。」
生活費を渡すようになって1年が過ぎたころ、私はそう言って関係を清算しようとしました。
すると、「結婚する」と言うのです。
彼女のお母さんにも会い、お坊さんに結構式の日まで決めてもらいました。
つまり正式に婚約し、約1年後の結婚を誓い合ったのです。私が45歳くらいのときです。
これでやっと結婚できると思いましたね。自分が結婚したいということより、両親を、特に母親を喜ばせてあげられると思いました。
私の家族にも報告し、日本で披露宴を開く準備も進めました。
結婚式まであと3ヶ月という3月の月末、彼女が「今月の生活費を早めに欲しい。」と言ってきました。
まあ1週間くらい早くてもあげられない金額ではないので、私は彼女に払いました。
その数日後、彼女から1通のSMS(ショート・メッセージ)が携帯に届きました。
「あなたとは結婚できません。もう、会えません。」
それまで何度も、彼女の気持ちを疑ってきました。
そのたびに彼女は、そんなことはないと否定してきたのです。
信じられないと思いながら、それでも彼女を信じてあげない自分が悪いように思えて、私は待ち続けたのです。
それなのに、その結果がこのSMSだとは...。
ショックだし、情けなくて、悔しくて、どうしようもな気持ちでした。
電話を掛けて、会って話をしようとしましたが、ダメでした。
腹立ちまぎれに、「やっぱりお金が目的だったのだろう!?」などとひどいSMSを送ったりしました。
どうにもならないと思いながら、衝動的にそうしてしまったのです。
翌日私は、親にメールを出しました。披露宴の準備を中止してほしいと。
それから彼女にSMSを出しました。ひどいことを言って、申し訳なかったと。
もう彼女の気持ちは変えられないのかも。ここは私が冷静にならなければ、と思ったのです。
それから何度かSMSでやり取りをしました。
彼女が言うには、私が彼女の家の改築費用の一部を負担しなかったことで、お父さんが結婚に反対しているから、結婚できないとのことでした。
でも、どう考えてもそれはおかしいのです。
1週間か2週間かしたころ、私は、もう彼女とよりが戻ることはないと確信しました。
そして彼女に提案しました。
「もう1ヶ月分の生活費を出してあげようか?」
彼女は答えました。
「あなたの好きなように。」
私は彼女の銀行口座に、1ヶ月分の生活費を振り込んだのです。
友達からは、バカだと言われました。盗人に追い銭だと。
でも私は、それで私自身の気持ちにケリをつけたかったのです。
私は間違いなく彼女を愛したのだと。
私にとって最後の結婚のチャンスと思って、約3年を交際期間に費やした恋でした。
結婚目前までこぎつけながら終わることを、私自身が受け入れる儀式のようなもの。
それが、彼女に生活費をあげる行為だったのです。
フラれてばかりの人生だったと思います。
そして最後が、婚約破棄されて結婚が破談に。
親や姉妹にも迷惑をかけました。親戚も心配してくれたでしょう。
それでも唯一助かったと思ったのは、すでにつらい失恋を経験していたことです。
あれがなかったら、つらさと恥ずかしさとで、何をしたかわからない。
そうせずに済んだことを、ありがたいことだと思いました。
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赤木さん こんばんわ。
ものすごい暴露話を赤裸々に教えていただいてありがとうございます。
最近、平岡さんのメルマガも読んでいるので、共通するところもあり、とても興味深く読ませていただきました。
確かに、何の苦労もしないまま結婚する人もいれば、ずっと彼女すらいない人っていますよね。僕も運がよかっただけだと思っています。
そういう辛い経験があったからこそ、含蓄のあるお話になるんだろうなぁ、と改めて思いました。
ありがとうございました。
>【広瀬つみき】2・3歳の子育て専門★幼児教育アドバイザーさん
コメント、ありがとうございます。
50年生きていると、誰でもいろいろありますよ。
だから、それぞれの人生をかけがえのないものとして、大切に思うことでしょうね。