私がそれを始めたのは、新聞奨学生として2つ目の大学に通い始めたころです。
人生をリセットしたのですから、ここでまたくじけるわけには行きません。
そうなった、もう自殺でもするしかない。そんな危機感がありました。
しかし、卒業は一足飛びにはやってきません。
1日1日を積み重ね、365日×4年の歳月が必要です。
その間、今の生活に耐えられるだろうか?
そのことが不安だったのです。
1日だけを考えれば、やってやれないことではありません。
配達の肉体的なしんどさも、集金や拡張(営業)の精神的なしんどさも、1日に限定すれば十分に耐えられます。
でも、これをずっと続けられるかどうかと考えると、気が遠くなってしまうのです。
そんなとき、私は自分自身に気合を入れ続けようと考えました。
鏡の中自分に話しかけるというヒントを、何から得たのかは覚えていません。
ただ、自分で自分を励まし続けて、マンネリ化を防ごうと思ったのです。
このとき始めたのは、「鏡のワーク」だけではありません。
気分が高揚する音楽をカセットテープに集めて、毎日聴くようにしました。
また、自分を励ます替え歌もつくり、配達中に歌うようにしました。
私の配達区域では、配達の最後辺りに神社がありました。
その階段を駆け上がって配達するのですが、そのときは映画「ロッキー」の主人公のように、両手を上げて達成感を味わったりしました。
もう失敗するわけにはいかない。
その思いが、いろいろなアイデアを思いつかせてくれたのです。
1日なら耐えられる。だから、1日1日を新鮮に生きようと思ったのです。
中国の古典である「大学」という書物に、こういう文があります。
「湯(とう)の盤の銘に曰(いわ)く、苟(まこと)に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなりと。」
殷王朝を作った湯王は、朝、顔を洗う洗面器に、「毎日が新たなものだ」という文字を彫り、初心を忘れないように心がけたのだとか。
私も自分に言い聞かせることで、初心を保とうとしたのだと思います。
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