2012年05月20日

歌に救われたこともあります

広島大学に入って、悩み始めた頃の話です。

半ば引きこもり状態でしたね。

限られた人としか接触したくない。

だから昼過ぎまで寝ていました。


夕方から起きだして、食事をしたり。

飽きて出かけることもありましたが、いつも必ず1人です。



渡辺真知子さんの歌が大好きでした。

そのころも、よく聴いたものです。


「迷い道」は、聴いてすぐに気に入り、それでファンになったのです。

まあファンになったのは中学3年生くらいでしたから、まだそんなに迷ってませんでしたが。



売り出されるアルバムは、10枚目くらいまではすべて買いましたよ。ファンクラブにも入りましたし。

「かもめが翔んだ日」「ブルー」くらいまでは良かったのですが、そのあとがダメですね。

「唇よ、熱く君を語れ」は、CMに使われたからヒットしたけど。

やはりメジャーになって、心の歌を歌わなくなったのではないでしょうか?

私が偉そうに言うことでもありませんが、1人のファンとして、そんな気がしていました。


でも彼女のアルバムには、良い曲がたくさん入っています。

シングルカットされてないけど、気に入っている曲が多いのです。

それは彼女が、どうにもならないつらさだとか、悲しさに寄り添った歌を作っていたからだと思います。


「片っぽ耳飾り」なんて、名曲ですよ。

彼とひとつずつ分けてつけたイヤリングかピアスなのでしょうね。

私が愛したのと同じくらい、もし彼が愛してくれたら、愛は続いていただろうに。

そう思うと悔しくもあり、また切なさがつのります。

別れてしまって、意味がなくなった片っぽ耳飾り。

それを愛と一緒に海に捨てるという叙情詩です。


「愛することだけすれば良かった」は、もう私の人生の教訓になっています。

喧嘩した彼が、突然の交通事故で死んでしまった。

もう謝って、仲直りすることもできない。そうとわかっていたなら、愛することだけすれば良かったのに。

その後悔する思いを、せつせつと歌った歌です。

この曲を口ずさみながら思うのです。

腹が立って怒った時も、「本当にこれが永遠の別れになっても良いのか?」と自問しようと。

「このやろう!」と言う代わりに、「それでも愛してる!」と言おうと。

それから後、私は恋を何度かしましたが、自分が思うほど相手が愛してくれないと感じた時も、それでも愛することを選ぶようになりました。



さて、そんな私ですが、引きこもり状態で悩んでいた時によく聴いたのは、また別の曲です。

これはシングルカットされて、アルバムタイトルにもなった曲。「Memories」(メモリーズ)

死ぬこともできない、かと言って歩くこともできない。ただ流されていくだけ。それでも心の傷は癒えず、ただ思い出が心の中で何度も繰り返されるだけ。

そんなどうにもならないつらさを、心からしぼり出すように歌った曲です。

この曲が流れると、当時を思い出して、胸がギュッと締め付けられる感じになりますね。


でも、歌というのは良いものですね。

その歌を歌うことで、受け入れられた気持ちになります。

「あー、こんな自分の気持ちをわかってくれる人がいるんだ。」

そう思うと、前向きにはなれなくても、それ以上落ち込まずに済むような気持ちにはなれました。

渡辺真知子さんの歌は、私にとってかけがえのないものなのです。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:08 | Comment(0) | ├ 歌の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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