生まれたときは可愛くて、2歳くらいの頃は私と姉とで挟んで、川の字になって寝たものです。
そんなかわいかった妹を、私はいじめました。
「お前はお父さんとお母さんの子じゃない。橋の下で拾われてきたんだ。」
そう言って、いじめました。
小学校に通うときは親の命令で、妹と手をつないで登校しなければなりませんでした。
しかし私は、妹と手をつなぐことが嫌で嫌でたまりません。
見送る親の姿が見えなくなると、私は妹の手を離し、「勝手に行け」と突き放したのです。
なんというひどい兄ではありませんか。
私は、そういうことをしたのです。
妹と2人きりで、同じ部屋の空気を吸うのも嫌でした。
他に母親とか姉がいてくれるなら良いのですが、その人がトイレなどに行って妹と2人きりになると、急に落ち着かなくなるのです。
たまりかねて、私も部屋を出ることもありました。
でもそうすると今度は、悔しくてたまらないのです。
「なんでオレが出て行かなければいけないんだ!?」
その悔しさは、さらに妹への恨みになって、憎しみの強さを増すことになったのです。
私がどうしてそんなに妹を嫌ったのか、それには理由があります。
両親が共働きの我が家では、母親はとても大きな負担を負っていました。
保母の仕事、食事の支度、後片付け。それだけで1日が終わってしまうほどです。
仕事から帰ってきた母親に、私は学校のこととか話したかった。甘えたかったのです。
でも母親は、「ちょっと待って。後でね。」と言って、すぐに食事の支度に取り掛かります。
食事中は、「話をするな」というのが父親の方針。さっさと食事を終えて、母に甘えようとすると、また拒否されます。今度は後片付けがあるからです。
後片付けが終わっても、今度はTVを見ていて、「少し休ませてよ」と言われる始末。でも私は、母が大変なのだということをわかっていました。だから我慢したのです。
姉と私は、母親に甘えたくても甘えてはいけないのだと、自らを律してきたのです。
ところが妹は違いました。天真爛漫に甘え、また母親もそれを受け入れました。
おそらく、私たちのときと事情が違っていて、少し楽になっていたのだと思います。
でも、子どもの私には、そんな事情はわかりません。
私たちは、いや私は、ずっと我慢してきた。それなのに妹は...。
この強烈な思いが、妹への恨みとなって現れたのです。
ここで、頭の良い方なら気が付かれるかもしれません。
ちょっとおかしい。だって、ひいきしたのは母親だから、恨みは母親に向かうのでは?
理屈はそうですが、感情はそうはならないのです。
母親の愛情は、欲しくて欲しくてたまらないのです。でも、それが得られない。
その原因を、妹がいるからだと考えてしまうからなのです。もし妹がいなくなれば、自分への愛情が増えるはず。
人というのは、そういう風に考えてしまうようです。
心理学的にはこれを、カイン・コンプレックスと呼びます。
もちろん、後で知ったことです。
たしか「スケボーに乗った天使」というタイトルだったと思いますが、映画がありました。
その映画を見て、私は妹に対してどんな仕打ちをしてきたのかを思い知らされ、自らを深く反省したのです。
そして、そうせざるを得なかった自分の気持も、はっきりと理解したのです。
長くなりますが、そのあらすじを書きましょう。
主人公のケニーは、下半身がない状態ながら、スケボーに乗って元気に遊びます。
その姿をドキュメンタリーにしようとしてTV局のクルーが来るのですが、実はそれまで家族関係に微妙な亀裂があったのです。
TVに出るということで、家族が集まり、仲の良い家族を演じます。
しかし、撮影が終わると、またバラバラに。姉もまた、1人暮らしのアパートに戻っていくのです。
ケニーは、お姉さんが大好きでした。「お姉さんも、一緒に暮らしたらいいのに。」でも姉は、ケニーの言うことを聞いてくれません。
姉が出ていった後、ケニーはスケボーに乗り、姉の後を追いかけます。たった1人の大冒険です。
そして、やっと姉のアパートに着き、姉に会いに行きました。
「きっとお姉さんも喜んで迎え入れてくれるに違いない。」ケニーはそう考えたのですが、残念ながら彼の願望は、虚しく打ち砕かれることになりました。
姉は、ケニーに冷たく言います。「私は、あなたが嫌いなの。だからあなたとは一緒に暮らしたくない。」
ケニーは驚いて言います。「どうして?ぼくはお姉さんのことが好きなのに。」
姉はついに、怒りをぶつけるようにケニーに言いました。
「私がまだ子どもの頃、あなたが生まれた。初めての弟で、私も嬉しかった。でも、あなたはそんな身体だったのよ。」
「だから、お母さんもお父さんも、あなたのことが心配で、何かと言えばあなたのことばかり。私が何か話そうとしても、いつも後でと言われたのよ。」
「あの家に私の居場所なんてないの。それを奪ったのは、あなたなのよ。私だって、本当はお父さんやお母さんから愛されたかったんだから。あなたには、わからないでしょう。」
「あなたさえいなければ、あなたさえいなければ、私は両親から愛されて、幸せになれたのよ。だから、あなたなんか大嫌い。出て行って!」
姉に拒絶され、打ちひしがれたケニーは、とぼとぼとアパートを後にします。
しかし、しばらくしてお姉さんは、自分がしてしまった過ちに気が付きます。
「ケニーが意気消沈して、自殺でもしたらどうしよう。あー、私はなんてことをしてしまったのだろう。」
お姉さんは、必死になってケニーを探します。「お願い。どうか死なないで。そんなつもりじゃなかったの。大嫌いだなんてウソ。私は本当は、あなたのことが大好きなのよ。」
そして、やっとケニーを見つけ、お姉さんはケニーをしっかりと抱きしめたのでした。
この映画を見た時、私は涙が止まりませんでした。
今、こうしてそのあらすじを書こうとしただけで、もう涙が溢れてきます。
親の、特に母親の愛を奪い合い、兄弟で仲違いすること。その心理を、カイン・コンプレックスと呼びます。
聖書にある、カインとアベルの物語が、その名前の元になっています。
同じように供え物を捧げたのに、神は弟アベルのものだけを受け取り、兄カインのものを受け取らなかった。
カインはアベルを恨み、野に誘い出して弟を殺害した。人類史上、最初の殺人事件とも言われます。
神から愛されたかっただけ。愛されたいという願いがかなわなかったとき、他にその愛を受けた者がいると、その者に恨みの矛先が向かう。
その物語は、今もなお世界中で繰り返されています。
兄弟げんかによる殺人事件も、後を絶ちません。
また、浮気をしたご主人を恨むのではなく、その相手の女性をひどく恨むのも、このカイン・コンプレックスなのです。
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それに気づくことが幸せになる方法であり、私はその方法をお伝えしています。