2012年05月18日

痴漢をしてしまいました

私の真実の面を開示することに決めた 以上、この話題を避けるわけにはいきません。

恥ずかしながら、痴漢行為をしてしまいました。

これ以上ないスキャンダルでしょう。

だから政治家にはなれないし、芸能人とかも無理です。ましてや教師などの聖職者には、なれるはずもありません。



たしか小学校5年か6年の頃だったと思います。

私の田舎では秋祭りとして、夜、お宮で神楽をやります。

そこに行った時の話です。


どういういきさつがあったか忘れましたが、神楽を見に来ていた中学生のお姉さんたちと仲良くなり、抱っこしてもらうような形で一緒に毛布にくるまったのです。

そのとき私は、毛布に潜って、そのお姉さんの胸を触ろうとしました。

抵抗されましたよ。それでも諦めずに、執拗に触ろうとしたのです。


子どもが母親のおっぱいを求めるような無邪気なことと思われるかもしれませんが、そうではありません。

あれは明らかに、男性としての性欲から自分自身を制御できなくなったのです。

いや、性欲と言うより、情欲と呼んだほうが正しいかもしれません。

今にして思えば、性的な欲求を満たそうとする気持ちの中に、愛されたいという思いが深いところにあったことがわかりますから。


いつの間にかやってきていた家族に見つかってしまい、気恥ずかしさを感じながら、その試みは終わりました。

でも、もしあそこで止めてくれなかったら、どこまでエスカレートしたかわかりません。

神聖なお宮で、いったい何をやっているのでしょうね。

思い出すたびに恥ずかしくなります。


それでも、やってしまった過去を変えることはできません。

そういうことをした人間だというのが、私の真実なのです。



私は、自分で言うのも何ですが、とても性欲が強い人間です。

人一倍、エッチでスケベだと思います。煩悩にまみれています。

ただその本心を、滅多に見せないように生きていただけです。


女性をレイプすることを想像したことは、それこそ数え切れないほどあります。

自分でも、危ない人間だと思います。

もちろん、そんなことは想像だけで、実行に移すことはありませんでした。

しかし、もしその環境が整い、何かストレスが溜まって「どうにでもなれ!」というような気持ちになったら、やっていたかもしれません。

本当に、とんでもないヤツだと思います。


自慰を知ったのは、小学校に上がる前のこと。

保育園に行っていましたが、たぶん4歳か5歳だと思います。

外に面した廊下に天井を支える鉄柱があり、それにつかまって天井までよじ登るという遊びがありました。

それをしていたとき、下腹部になんとも言えない気持ちよさを感じたのです。

当時は、それが何を意味するか知りませんでした。まあ、当たり前ですけど。

ただ気持ちがいい。それだけはわかりました。それで、私は好んで、その遊びをするようになったのです。

おませにも程があるってものですよね。

そんな幼い頃からオナニーをやっていたのですから、性欲が強いのは間違いないでしょう。


東京で満員電車に乗るときは、本当に危なかったです。

意図的に触るなんてことはしませんでしたが、触れてしまうことはたまにありました。

手を動かして触ってみたいという衝動に駆られたこともありました。

一歩間違えば、それこそチカンの現行犯で逮捕されたかも。

そんなスレスレのところで生きていたのだと思います。


いつ犯罪者になってもおかしくない。

それが良いことだとは言いませんが、過ちを犯す人の気持ちはわかります。

私もそういう人たちとさほど変わらないくらい、弱い人間だったのです。



かつてイエスは、こう言ったそうです。

「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」

姦淫というのは、不義なる性交のこと。モーセの十戒の第7戎に定められています。

そういう意味では、私は何度姦淫の罪を犯したことか。

そう思いながらも、自分自身を制御できずに生きてきたのです。

それが、私という人間なのです。

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:18 | Comment(2) | ├ 私の生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なんとも正直なカミングアウトでしょ^−^

似た思い抱いてる男性 意外に多いのでは?と思います 「伸びやかに大らかに性表現分かち合いたい=一つになりたい」こういう情熱を 間違ってるとして許されない現状 性にたいする無意味なタブー 抑圧ある社会においては ゆがめられた情熱が 女性の同意を待てずに犯してしまう事件?巻き起こしてしまってますよね 自分は惹かれあうなら複数の相手とでもエッチしたい そういう思いは正直あります
Posted by 久保山 at 2015年05月01日 14:54
久保山さん、コメントをありがとうございます。
また、正直なお気持ちを吐露してくださって、感謝です。(*^_^*)

私たちはつい、世間体とか他人の目を氣にして、自分に対して正直でいられなくなります。
けれども、そうやって自分をごまかすことによって、自分らしく生きられなくなってしまいます。
また、自分をごまかしていることさえ封じ込めようとするために、自分が自分らしく生きていないことさえ、わからなくなっているのですね。

性欲は、単に性欲です。
身体の三大欲求と呼ばれるように、睡眠欲や食欲と何ら変わりません。
身体は、必要なときにそれらを欲するために、欲望を掻き立てます。
お腹が空くのは、身体が栄養を欲しているからです。
性欲も同様で、身体が射精することを欲しているだけなのです。本当はね。

ですから、身体の欲求を正しく知って、その欲求に答えてあげさせすれば、欲求はすぐに収まります。
お腹がいっぱいになれば、食欲は消えますよね。

それなのに、まだ食べ続ける人がいます。(私もそうでした。(笑))
これは、本当の身体の欲求ではありません。
心が身体の欲求を利用して、心の欲求を満たそうとしているのです。

心の欲求は愛です。
それが得られないからと言って食欲を掻き立てても、心の欲求は満たされません。
だから、食べても食べても、まだ満足できない。過食症とか、仏教で言う餓鬼(がき)がそうですね。

そのことがわかれば、食欲はもちろん、性欲にも振り回されることはなくなります。
性欲が強いから性犯罪を犯すのではなく、心の欲求が満たされないからです。

複数の相手とエッチをすることは、正しいとも正しくないとも言えません。人それぞれだと思います。
「神との対話」では、まず自分に正直になることを勧めています。
経験したいのなら、経験してみればよいのだと。
経験することによって自分を変えていく。
それが、本当の意味での進化成長だと、私も思いますね。
Posted by 赤木(幸せ実践塾・塾長) at 2015年05月02日 13:43
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