「重い槍」ではありませんよ。
そういえばTVアニメの「巨人の星」の主題歌に、「思いーこんだーら、試練の道をー行くがー男のーど根性」というのがありましたね。
その歌詞が流れる時、主人公の星飛雄馬が、必死になってローラーを引いている場面が映し出されます。
だからあのローラーは、「こんだら」という名前なのだと思ったと、私の友達が言っていました。
だって「重いこんだら」って歌っているからって。
ごめんなさい、ただ言ってみたかっただけです。
まあそんな話はさておき、「思いやり」というのは、本当に大切なことだと思います。
でもそんな思いやりが、余計なお節介になることもあります。
「小さな親切、大きなお世話」なんて、標語のパロディーもありましたね。
つまり、自分の価値観で相手もこうなのだろうと決めつけ、それに基づいて相手のために何かをしようとしても、場合によっては迷惑になることもあるということです。
「じゃあ、どうしたらいいの?」ってことですよね?
アメリカ・インディアンの教えを知っていますか?
「その人のモカシンを履いて1マイル歩くまでは、その人のことを批判してはならない。」
モカシンというのは、獣の皮を袋状にして作った靴のこと。
つまり、その人の靴を履いて1マイル歩かないと、その人の事情というのはわからないのだから、安易に批判するなっていう教えです。
実際にその人の靴を履いて歩けという教えではなく、事情は人それぞれだから批判するなという教えですからね。
そのへんのところ、勘違いされませんように。
つまり、「思いやる」というのは、相手の事情を「理解する」ということではなく、相手には相手の事情があるのだということを「思いやる=想像する」ということだと思うのです。
日本では、「盗人にも五分の理」という言葉がありますよね。
つまり盗みを働くような悪い人であっても、そうせざるを得ない事情があるのだということ。
だから盗みをしても良いとは言わないけれど、半分くらいは「そりゃしょうがないよ」と言える事情があるのだと。
思いやりというのは、もし自分が相手と同じ環境にいたら、同じことをしたかもしれないなあと想像すること。
だとしたら、批判なんてできるはずないですよね。
「批判するな」という命令ではなく、本当に思いやりを持てば、「批判などできなくなるはず」という意味です。
何かにつけ相手を責めたくなった時、アメリカ・インディアンの教えを思い出しては、相手を思いやることを自分に課したいと思うのです。
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