すぐにくじけてしまうほど弱くて、臆病な人間です。
それを他人に知られまいとして、虚勢を張って生きてきたのです。
そんな私ですが、必ずしも品行方正ではありませんでした。
いや、無理に過去形で言うのはやめましょう。今も、品行方正ではありません。
叩けばホコリが山ほど出てきます。
なので、絶対に政治家にはなれません。スキャンダルだらけで、すぐに潰されてしまうでしょうから。
そんな私の真実の面を、開示していきたいと思います。
なぜなら、そうでないと私の言うことが上っ面だけの言葉に聞こえるでしょうから。
あれは、小学校4年生のころだったと思います。
夏になると、男の子は川で鮎釣りを楽しんだものです。
川で鮎を釣るには鑑札が要るのですが、小学生までは不要でした。
その頃の子ども釣り方は、金色のおもりに天秤を付け、そこから毛鉤を垂らした仕掛けを軽く上下させながら鮎を誘うもの。
縄張りを持って石についた苔を食べるような大きな鮎は連れませんが、淵で集団で泳ぐ小型から中型の鮎が釣れます。
こういう小さな鮎は、まとめて唐揚げにしてもらって食べたものです。
毛鉤にはたくさんの種類があり、その違いによって釣果が変わることもあります。
子どもたちにとって、毛鉤をたくさん持っているということは、ステータスだったのです。
ある日、毛鉤を買いにお店に行くと、他に客が誰もおらず、店の主人は奥の方に居ました。
急に魔が差したと定番の言葉で説明したくなるほど、私は万引きしたくなったのです。
買うだけのお金は持っています。
毛鉤は1つ、100円から200円ほどのものが主流です。
当時は月に600円くらいの小遣いでしたから、1つや2つは、買えなくもなかったのです。
でも、ここで100円、200円と使ってしまうと、他のものが買えなくなります。
買えないから万引きしたかったのではなく、手元にあるお金が減るのが惜しかったから、万引きしたくなったのです。
心臓が飛び出しそうなほどドキドキしながら、私は毛鉤を2つほど盗みました。
このことは、誰にも話さなかったし、誰にもバレませんでした。
でも、確実に私は知っていたし、ずっと忘れずにいたのです。
「なんであんなことをしたのだろう。」と、何度も後悔しました。
しかし、やってしまったという事実は取り消せません。
店の人にお詫びしたくても、今はもう、その店もありません。
私は弱い人間です。
一時の執着心から、罪を犯しました。
そういう人間だということを、私自身は忘れることができないし、それを背負って生きて行かなければなりません。
法律だけの問題なら、すでに時効です。
隣の家のカキを盗むのと同じくらい、子どもの出来心という他愛もない事件かもしれません。
でも、犯罪を犯したという点では、間違いなく罪なのです。
だから私は、聖人君子のように偉そうなことは言えません。
ぶつかりながら、傷つきながら、相手を傷つけながら、ボロボロになって生きてきたのですから。
それでも自分自身を見捨てず、ちぎれてボロボロになった自分のかけらを拾い集め、パッチワークのように繋ぎ直しているのです。
純粋無垢な美しさは、まったくありません。
それでも、そういう弱さがあるからこそ、他人の弱さに共感できます。
それは私にとって、一筋の救いです。
【├ 私の生い立ちの最新記事】




過去は過去ですし、事実は事実ですからね。
バレるかバレないかが問題なのではなく、その事実に自分がどう向き合うかが問題なのだと思っています。
仮に批判されたとしても、私は罪悪感を抱きませんよ。
批判する人は、批判することによって、その人の人生を生きるのですし、私は批判を受けることで、私の人生を生きるのです。
ですから私は、批判されたという事実に対して、どう考えるかを選択すればよいだけのこと。
批判された、つまり何らかのメッセージを贈られたことに感謝し、より自分らしく生きられるように、考えたいと思っています。