2024年09月01日

おいしいアンソロジー ビール

おいしいアンソロジー ビール 今日もゴクゴク、喉がなる (だいわ文庫) - 阿川佐和子, その他
おいしいアンソロジー ビール 今日もゴクゴク、喉がなる (だいわ文庫) - 阿川佐和子, その他

私はビールが好きなので、たまにはビール関連の本もいいんじゃないかと思って探したら、ビールに関わるエッセイ集があったので買ってみました。
著者は阿川佐和子(あがわ・さわこ)さんなど多数。時代も、明治くらいから現代までと幅広く、それぞれの時代におけるその人のビール観が楽しめます。


ではさっそく、一部を引用しながら本の紹介をしましょう。

旅の楽しみのひとつは駅前の大衆食堂で飲む一本のビールではないか。
 列車を降り、駅前に昔ながらの大衆食堂を見つけると、まずはそこに入り、ビールを飲む。旅に出ると昼間からビールを飲んでもうしろめたい気持ちはせずにすむ。
」(p.29)

これは川本三郎(かわもと・さぶろう)さん(1944年生)の文。たしかに以前は、昼間からお酒を飲むなんてとんでもない、という価値観がありましたね。
私はタイでリストラに合ってから、朝からビールを飲むことが増えました。それによって慣れてみると、「朝っぱらから飲むのはとんでもない」というのも、単に1つの価値観に過ぎなかったとわかるのです。


ところで、一パイントは五六八ミリリットルである。」(p.66)

タイで飲んでいる時、グラスならゲオとタイ語で言いました。ビールはたいていボトルで飲むので、それはクワットです。ところがバービアで、「パイ」と言うのです。どうやら500mlくらいのグラスに注いだビールは1パイと言うようで、そんなものかと思っていました。
タイ語では英語の末子音を発音しないという特徴があり、「ICE(アイス)」は「アイ」と発音します。ですから、「パイ」とタイ人が言っていたのは、「パイント(pint)」のことだったのですね。初めて知りました。
パイントはアメリカとイギリスで量が違うようで、アメリカの方が少ないようです。(USパイント:473ml、UKパイント:568ml)ちょうど500mlではありませんが、500ml前後の量をパイントと呼ぶようです。


今年はサントリーのスーパープレミアムというビールに出会って嬉しかった。府中工場でしか手に入らない逸品で、小瓶しかないようだが、これを大ぶりのグラスにとくとくとくとくじゅわー(泡のふくらむ音)と注ぎ、いっとき全体が沈静化するのを待っておもむろに「くいくい」やるとき、まあいっちゃあナンだが人生の至福というものをつくづく感じる。つらいことも多い人生だが、しかしこういうヨロコビもあるからなあ……と素直に頷くのである。」(p.72)

これは椎名誠(しいな・まこと)さん(1944年生)の文。椎名さんの本は、以前に何冊か読んだことがあります。内容はすっかり忘れましたが、お名前はよく存じ上げています。
そんな椎名さんと、プレモルが好きという一致点があったのが嬉しかったです。ビール好きには「わかる、わかる。そうだよねぇ。」と言いたくなる表現ですね。


ビールの起源は紀元前四千年、メソポタミア時代とのこと。下ってエジプト時代、ビールは国家の管理で、大きな産業だったそうだ。
 それにホップを加えはじめたのが、八世紀ごろのドイツに於てで、その栽培が広がってゆく。なぜそうなったのかは書いていない。
 ホップ入りがビールの条件なら、歴史は数千年なんて言えないわけだ。それにしても、ホップなしのは、どんな味なのだろう。
」(p.105-106)

先日、酒にくわしい開高健さんに会った時に聞いたら「防腐作用のためじゃないかな」と言っていた。しかしホップの防腐作用など、どの本にも書いてない。」(p.106)

星新一(ほし・しんいち)さん(1926年生)の文です。たしかに、ビールにホップはつきものですが、なぜホップを加えるようになったのでしょうか?
調べてみると、やはりはっきりしないようです。ホップの栽培は7〜8世紀から始まっていますが、ビールに使用されたという記録がないのだとか。現代ではホップはビールにしか使わないようなので、そうであれば栽培が始まった頃からビールに添加されたとも言えますが、12〜13世紀からだという説もあるとか。
またホップを加える目的も様々あり、雑菌の防止、苦みの追加、泡立ちのためなど考えられるとか。ホップを加える前は、複数のハーブ類を調合したグルートと呼ばれるものを使用していたようです。おそらく雑菌の繁殖防止のために工夫していた中で、ホップが有効だとなって残ったのではないか、ということですね。


こうなれば、もうあと、二分後には、冷たく冷えたジョッキを手に持ってゴクゴクやっていることになるだろう。
「あのね、ボクはね、生ビール大」
「オレ、中」「オレも中」
「わたしは小でいいです」「中ね」
「そうするとアレですか。大が4に中が3ですか」
「いや、中は4じゃないの」
「すみません、もう一度一人ずつ言ってください」
 何ということだ。いまは一刻を争っている時なのだ。大も中も小もないっ。こいう火急な場合は、間(あいだ)をとって中と決まっているものなのだ。
「中を九つ」。これでいいのだ。
「とりあえずそれだけ急いで持ってきた」。これでいいのだ。
」(p.146-147)

これは東海林さだお(しょうじ・さだお)さん(1937年生)の文。こういう歴史があって、中生(ちゅうなま)が定着したのでしょうかね。
私も合理的な考え方を好むで、この感覚はわかるなぁ。ああだこうだとつべこべ言わずに、1秒でも早くビールにありつこうよ!(笑)


本書には、「ネパールのビール」と題する吉田直哉(よしだ・なおや)さん(1931年生)のエッセイも入っていました。私はこれを、他で読んだ記憶があります。日本講演新聞だったでしょうか。
内容は、ネパールへ撮影で行った著者が、現地の子どもにお金を渡してビールを買いに行かせるというもの。何回かやって信用できると思ったのか、どうせ買いに行くならと、その少年にとっては大金を渡して買いに行かせたところ帰ってこなかったのです。村人に聞いても、逃げたに違いないと言います。それで著者は、安易な思いで少年の人生を狂わせたことを後悔したというものです。
最終的には、その少年は戻ってきました。行った先で売ってなくて、さらに山をいくつも超えて買いに行ったため、帰ってくるのが遅くなったのだと。なんだか「走れメロス」みたいな話で、印象に残っています。


その時私は、かつてあるビール会社の宣伝部から、
「栓抜きが手元にない場合、あなたはどうしてビールをお抜きになりますか?」
 という、アンケートを受けたことがあるのを思い出した。
「愚問です。お答出来ません。
 栓抜きは捨てる程あるが、かんじんのビールがない場合どうしたものか? そういう質問にならば、名答を差上げましょう」
 私はそんな返信を出したが、栓抜きなしでビールを抜いて見せるなぞという人が出て来たら、大いに感心した顔で、何本でも抜かせる方が、一層気が利いている訳である。
」(p.225-226)

永井龍男(ながい・たつお)さん(1904年生)の文。これを読んで、タイ人が栓抜きなしにビールを抜く様を思い出しました。
彼らは100円ライターや未開栓のビール瓶などを使って、器用に栓を抜きます。私もやろうとしたことはありますが、まったくできませんでした。永井さんに見せてあげたいなぁ。(笑)


あれは、ちょうど産気づいた女性の陣痛とよく似ていて、痛みならぬ尿意が、次第に間隔をちぢめて波のように押しよせてくるものだ。
 はじめは七、八分に一度ぐらい。その波はゆっくりとやってくる。
 しばらくすると、これが三、四分に縮まってくる。一生懸命にこらえていると、やがて波は引き、やっと一息ついていると、ふたたび、遠くから押し寄せてくる感じだ。
 これが目的地ちかくなってくると、三十秒ごとにピッチをあげまさに波がしらがくだけるがごとくだ。もうすぐ家だヨ、もうすぐ便所だヨと考えるともう抑制力もきかなくなってくるのである。
 心のなかで、そういう時は唄を歌って、瞬時でも気をまぎらわしたほうがいい。
」(p.257-258)

そういう苦しい、苦しい過程を経て、ようやく家なり、公衆便所に到着し、そしてそこに駆けこみ、すべてが解放された時ほどシアワセでウレシクッてーー生きていることの悦び、五月の春風そよそよと、ひろきを己が心ともがなという心境になる時はない。」(p.259)

これは遠藤周作(えんどう・しゅうさく)さん(1923年生)の文。ビールを飲んでタクシーに乗って帰宅する途中、尿意が襲ってくるという話です。
これはとても共感できます。(笑)あとちょっとでトイレとわかると、突然、こらえきれない尿意が押し寄せてくるのは、ほんとなぜなんでしょうねぇ? 今度からは狐狸庵先生が言われるように、静かな歌を口ずさんでみようかと思いました。


「ビール」というだけで、あとはわいわいがやがや、大瓶からたがいのコップに注ぎあう。あるいは、生ビールをジョッキで一気にあおるように飲む。そういう飲み方だっていい。しかし、そうではなくて、孤独な時間をもとめて、なにより渇いたこころの親しい友人として、ビールを楽しんで、いわば友人としてのビールと寡黙につきあうというのが、いつかわたしには、じぶんで決めた楽しい約束になった。」(p.264)

これは長田弘(おさだ・ひろし)さん(1939年生)の「ビールは小瓶で」という文。たしかにビールと言えば、大瓶で注ぎつ注がれつしながら飲んだり、上司に御酌したりというイメージがありますね。
私も、小瓶で独りちびちび飲むビールが好きだったりします。こういうスタイルも、タイで一人飲みをするようになってから、覚えたものです。


お酒を飲むようになったころ、最初はビールが苦手でした。あんな苦いものを、なぜ好んで飲むのか不思議だったのです。なので私は、ビールを水で割って飲んでいました。アルコールが苦手なのではなく、苦さを和らげるためでした。
40歳くらいまでは、「とりあえずビール」はあっても、ビールを飲み続けることはまずありませんでした。それがビールだけでよくなったのは、タイで一人飲みをするようになってからだと思います。バービアへよく行くようになり、グラスで出されるウイスキー水割りなどより、小瓶で出されるビールの方が信用できた。(笑)その頃から、ビールだけでいいと思えるようになったのです。

その後、年を取ってアルコールに弱くなり、強いお酒が次の日に残るようになったため、ビールがメインになりました。焼酎も飲みますが、水でかなり薄めます。今では、ビールさえもアルコールが強いので、1日1リットル以内と決めており、通常は350ml缶を1〜2缶です。まぁその後は、薄めてアルコール度数1〜2%の焼酎水割りを飲みますがね。

いずれにせよ今も、ビールとは付き合っています。ある意味でビールは、私の友だちとも言えますね。
みなさんは、どう思われるでしょうか。いろいろな人のビールに対する思いを集めたエッセイ集。楽しめますよ。


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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:24 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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