2024年01月04日

追跡 税金のゆくえ

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最近、X(旧Twitter)で減税関係のポストをリポストしたりしています。その関係で知った本だと思います。
著者は毎日新聞の経済部の記者で、高橋祐貴(たかはし・ゆうき)氏です。いくつか本を執筆されてもおられるようですね。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

また、このことを経産官僚に聞くと「大手頼み」である実態を認めた。
「電通は人や会社を差配する力がある『何でも屋』で、立案力も含めて社員の能力が高い。政策実行を官庁だけで考えるとなると、質、スピードが落ちてしまう。持続化給付金事業もじっくり業者を選定すれば1年かかる」
 さらに経産省OBは、「官僚のむちゃな要望、案件も引き受けて及第点を出す企業で、使い勝手が良い」と発注が大手広告代理店に偏る背景を明かした。
」(p.32-33)

政府が支援金を給付するなどの事業をしようとした時、政府が直接それをやることはありません。必ずどこか民間企業にとりまとめをさせるのです。
けれども、そうすることで予算の中抜きが行われるなどの問題が起こる。そういう実態について、高橋氏はインタビューなどから構造を明らかにしていきます。


法務省の推計によると、一般社団法人は2019年12月時点で約6万法人。実際はこの数字以上の法人が存在すると見られている。公益社団法人には予算書や事業計画書などを毎年度、内閣府や自治体に報告する義務がある一方、一般社団法人は定款や社員名簿、貸借対照表を備え、最低限の決算公告を求められる程度だ。一般社団法人の設立数を調査したことがある東京商工リサーチの担当者は「監督官庁がないため、一般社団法人には不透明な実態が多く、正確な情報がつかめない」とこぼす。調査のプロでもお手上げだった。」(p.34-35)

第1次支払い先と請求の関係は、経産省と一般社団法人なんです。ということは、一般社団法人とか公的なイメージがあるところを介した請求と支払いで済んでしまうんですよ。そこから他の会社に再委託や外注をするんですけど、広告会社の内部規約では、第2次支払い先の原価は開示しないということになっていまして。だから、会計検査院の確定検査が第1次支払い先で止まってしまうんです。仮に経産省からサ推協に800億円払いました。そこからさらに広告代理店に700億円で流した場合、800億円の明細さえクリアになっていればいいんですよ。広告代理店に700億円だけ払いましたって証明だけすればいいんです」(p.47)

官僚サイドを取材していても、誰もが委託業者の原価がいくらなのか、利益は一体どれくらいなのか、分からないと首をかしげていた。知らないフリをしているのではないか。そう思ったこともあったが、どうやら本当に知らないようだ。もしくは知ろうとすることで関係性が崩れる懸念があったのだろうか。」(p.48)

つまり一般社団法人は会計報告の義務がほとんどなく、一般社団法人を挟むことで、堂々と資金の流れを隠せるということですね。
政府側は、自分たちではできないことを一括して丸投げすることができる。実際に元請けとなる広告代理店は、好き勝手に差配して儲けられる。実際の業務は、その下請けや孫請けが行う。けれども、その実態は政府に報告する必要もない。
政府も、元請けも、それぞれに都合がいいのです。だから手つかずで、税金がじゃぶじゃぶ流れています。


類似の事業がないと比較もできないので相場って適当なんですよ。この事業って例えば600億円ぐらいだろうっていう相場感で。じゃあ、そこから値引きや交渉があることを考えて580億円にしようって。ある程度の線引ができたら10億円くらい粘ってみようと。つじつまを合わせるための資料、見積もりを作っていると思います。オリンピックはじゃぶじゃぶってことがこの資料からよく分かります」(p.77)

東京オリンピック関連の資料を見た経産省幹部の意見だそうです。
私も、あんな大規模なイベントの予算がどうやって決まるのか不思議でした。細部を積み上げれば可能かもしれませんが、それでは非常に大きな労力がかかるし、実際にやってみれば計画どおりにならないことも多々あるでしょう。

私自身、コンピュータシステムの開発に携わっており、小さなシステムの見積作成をしたことがあります。だいたいの規模感と、その規模に単価を掛けて見積もるというやり方が主流でした。けれども、その規模が本当に合ってるのか、単価は適正なものか、なんとも言えないという気持ちはありました。それに、開発段階での仕様変更もよくあることで、どこまでの仕様変更は無償で認めるとか、その辺もさじ加減でした。
こういう経験からしても、大規模イベントに関わる経費の算出は、並大抵のことではないと思うのです。そうであれば、その元請け企業が出す見積もりは、かなり水増しされたものにならざるを得ません。また、実際に動き出してから追加請求があることも十分に考えられます。

もし、これを企業が手掛けたならどうするでしょう? もっと念入りに予算を考え、その経費を上回る売上をどう捻出するかを考え、その見積もりが妥当だと判断できなければGOサインは出されません。赤字になる可能性が限りなく払拭できない限り、あるいは赤字になってもやる意義があるという経営判断がない限り、GOは出ないのです。
しかし、これを行政がやれば別です。原資は税金であり、株主のようにいちいちうるさいことは言いませんから。だから元請けが出す適当な見積もりも受け入れるし、動き出した以上は追加支出にも応じるしかなくなるのです。

だから、行政が事業をしてはいけないのです。行政には事業をやる能力がないし、責任を取らないからです。企業なら、もし事業に失敗すれば株主に対して責任を負うし、最悪、倒産ということになり、市場からの撤退を余儀なくされます。けれども行政は、地方自治体と言えども滅多なことでは破産しませんから。


ゼロゼロ融資は、利子を各都道府県が、返済不能となった場合の焦げつきリスクを信用保証協会が受け持つ制度だ。お金を借りる企業の利子・担保負担を「ゼロ」にする制度で、仮に事業者が返済不能になったとしても、政府や都道府県、信用保証協会が代わりに受け持つことになる。」(p.118)

金融機関から見ると、融資先の返済が焦げついても信用保証協会が肩代わりしてくれ、利子は都道府県が支払ってくれる側面があり、リスクを負うことなく、貸せば貸すほどもうかる構図となっている。
 さらに疑問視する使途もある。政府融資の使途は運転資金と、新型コロナ対策のための設備投資に限定されているが、神戸市内の50代の中小企業経営者は、株式投資など「マネーゲーム」の原資にしていると明かす。
」(p.118-120)

「補助金や給付金、交付金は企業を受け身にさせ、常識的な経営者でさえ補助金をもらうことが目的となり、その間は自分が何をするべきかという考えを奪われてしまう。コロナ禍の政策はある種の麻薬になってしまっている」
 中山社長も、補助金や給付金ありきの政府の支援スキームに思うところがあるようだった。
「雇用調整助成金や事業再構築補助金といった支援制度のおかげで金銭的なバックアップがあるのはありがたいです。でも、社員のスキルが上がっていくわけではないのが悩みどころでね。安くても仕事をすれば、加工の腕も上がるし。例えばコロナをきっかけに社外留学とかさせられないかとも考えたけど、それも申請してみないと分からなくて結局できなかった。
」(p.124-125)

政府など行政による事業もさることながら、こういった事業者への補助金制度は、往々にしてこういうことになります。
行政が事業者を救済しようとすれば、無駄にお金が使われたり、コストがかかったり、本来なら市場から撤退すべき役立たない事業を延命させることになるのです。

また、行政が補助金を支給するための選別基準がわかりにくかったり、申請書類の書き方がわかりにくかったりして、本来の目的が生かされない事態が多々あります。本来は、事業者が自由に使えるお金を手にするハードルが低くなって、事業者の自由裁量で使って事業に役立てるべきです。けれどもそこで、何でもかんでもお金をバラまいたのでは、事業に役立てるという目的すらないがしろにされてしまうことが起こるのです。


企業や地方などを挟むと、国からの本人に交付される公金が届きにくくなったり、本来とは違う趣旨で使われたりしやすくなる。だから、こうした公金の配り方の見直しや直接支給・申請を求める声は根強い。前章で紹介した小学校休業等対応助成金や地方創生臨時交付金はその一例だ。電子申請などのデジタル化を進めれば、国民の意向に合わせて直接支給することはいとも簡単にできるが、一筋縄ではいかない。むしろ、利便性が高まることを拒んでいるように映る。」(p.151)

私は、事業に対して行政が補助金を出すような政策は、なるべく減らした方がいいと思っています。それはこれまでにも書いたように、無駄が多く利権を生じやすいからです。
けれども、どうせ配るのであれば、補助金の趣旨が明確であること、その用途に使うことが明白であり、効果が検証できること、申請が容易であることが重要だと思っています。

少なくとも、どこにいくらどういう目的で支給したかを公開すればいいと思います。そうすれば、それを見た人が自由に検証できますから。
そして、申請の容易さを推進する上でデジタル化(オンライン化)は必須でしょう。いまだにFAXでとか、申請用紙に手書きでとか、無駄な押印が不要になったのは良いとしても、まだまだ進んでいません。
さらに言えば、行政関係の支払いに現金を求められることがほとんどですが、これも何とかしてほしい。せっかくコンビニで利用できるにも関わらず、デジタルマネーが使えないことが多いのです。


2022年度からは、単年度の事業費が10億円を超える場合は四半期ごとに支出状況や残高を公表することにしている。財務省幹部は「これまで基金のチェックは会計検査院や行政事業レビュー頼みだった」と話し、著しく成果が低い場合は予算の削減も検討する構えを見せる。
 ただ、一時的なチェックは事業を所管する省庁任せになるため、どこまで基金の見直しにつながるかは不透明だ。それに加え、基金全体でどれだけの額がつぎ込まれてきたかは財政当局でさえつかめずにいる。
」(p.225-226)

政府の予算は、通常は単年度で使い切るものです。それはそれで弊害があることもあり、最近は複数年度を見越した「基金」という制度が使われているようです。
しかし、それによって一層、予算と事業内容の妥当性の評価がしづらくなっているようですね。ただでさえ、行政が行う事業の評価は難しい面があります。企業と違って、儲かるかどうかというわかりやすい指標がないからです。
だからこそ、これまでも書いているように、行政が事業をやってはダメなのです。

2021年5月、中央省庁の抽出した事業を有識者らがチェックする「行政事業レビュー」では、河野行政改革担当相(当時)がトヨタを念頭に「水素自動車を売っているところが真剣に水素ステーションを作っていないのに、(予算を投じる)意味があるのか」と批判した。政府内にも、「トヨタのための政策ではないかと思うほどだ」と皮肉る声がある。」(p.231)

私は、ここにヒントがあると思っています。政府主導で水素エンジンに切り替えようとしても無理があるのです。それで経済的にペイできるかどうか、より正確に判断しているのは企業の方です。だから、事業は企業に任せるべきなのです。
もし、自動車メーカーが真に水素エンジンの方が利があると思うなら、多少のコストを掛けてでも水素ステーションの普及を推進するでしょう。そうしないのなら、まだ機が熟していないのです。

でもそうすると、いつまでたってもこれまでの技術や制度を使い続けることになり、CO2削減というような政策目標が達成できないと思われるかもしれません。でもそれは、炭素税などでコストが年々高まることがわかれば、企業はその上でどうするかを自由に考えて判断するでしょう。

EV車の購入に補助金を出すような制度も、行政が事業に口出ししているのです。
自動車メーカーが、本当にEV車を普及させたければ、儲けを削ってでも売ろうとするでしょう。そうすることで数年後に儲かるようになるなら、企業はそういう判断をします。
だから政府は、国民に自動車購入のバウチャーを配ればいいだけなのです。あとは何を売りたいと思うかは企業の自由に任せればよく、何を買うかは国民の自由に任せれば良い。ただ、年々炭素税が重くなるから、早い段階でシフトしていかないと企業経営は大変になるよ、という状況を作れば良いだけのことです。

予算を事業ごとにシート化し、それをもとに官僚や外部有識者が口角泡を飛ばして妥当性を議論する。目的は「無駄撲滅」というより、公開によって「政府への信頼を向上させること」(閣議決定文)にある。政府データを誰もが自由に二次利用し、新しい市場や価値を創出することを期待するオープンガバメントには程遠いが、行政事業レビューの真の狙いを霞が関に官僚に再認識させ、レビューシートを使えるモノにしなければならない。」(p.237)

地方行政にも事務事業評価があり、評価シートを公開している地方自治体も増えてきました。そういう情報がオープンにされ、みんなでチェックして自由にレビューをつけられるようにすればいいと思います。
けれども、これまでにも書いたように、多くの事業に到達目標がありません。やることだけが目標であり、その妥当性をチェックする方法がないのです。

たとえば、男女同権意識の向上を図るための啓発事業などがそうですね。ただこんなことをやりましたというだけ。それによって、どんな効果があったのかを検証する仕組みにはなっていません。
だから、行政に事業をさせてはいけないのです。無意味に、無駄に、税金を使い続けるからです。


本書を読んでみて、これまで漠然と思っていた「行政が事業をやると無駄が多くてコストが嵩み、利権の温床になるだけだ」という考えが、より一層強くなりました。
やっぱり政府や自治体に事業をさせてはいけないし、補助金行政は可能な限り減らしていかなければならないと思います。そうやって小さな政府にして、国民や住民の自由を増大させることが大事だと思います。

ただし、セーフティネットは必要です。必要どころか重要です。なぜなら、セーフティネットがあることによって、人々は安心して自由に活動できるようになるからです。セーフティネットとしては、これまでの自治体が事業をやるような生活保護制度ではなく、ベーシック・インカムのように一律に給付するという形がベストだと思います。

行政を小さくして人々の自由を大きくする。それが私たちの幸せにつながると、改めて思いました。


 
タグ:高橋祐貴
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:00 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月30日

未来を変えた島の学校

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誰の紹介で興味を持ったのかは忘れましたが、私のふるさと島根県のことだったので興味を持ちました。隠岐の島という過疎化の進む島で、もう廃校になりそうなほど生徒が減った島前(どうぜん)高校の改革によって人を増やし、地域社会が活性化していったという話になります。
この話を聞いて、まず、「教育改革で島を活性化するって、どういうこと?」と思ったのです。その理由が知りたくて読んだのですが、実に素晴らしい内容でした。

著者は、この改革に携わった「隠岐島前高等学校の魅力化と永遠(とわ)の発展の会」初代会長の山内道雄(やまうち・みちお)さん、ソニーを退職後に島前の教育に関わることになった推進役の岩本悠(いわもと・ゆう)さん、そして新聞記者の時代から島前を追ってきた島根県立大学准教授の田中輝美(たなか・てるみ)さんです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

「よそもの」と言われようが、誰よりも当事者意識や問題意識をもって、率先して行動で示してくれていた。「この島には宝が眠ってますよ」と、私たちには見えなかった島の宝を探し、見い出し、光らせてくれました。私のような年寄りがすべきことは、「よそもの」「ばかもの」「わかもの」と呼ばれる彼らから学び、彼らを活かし、彼らが挑戦できる舞台づくりをすることだと考え、実践してきました。
 この八年間で、廃校寸前だった島前高校は、海外からも入学希望者が来る、選ばれる高校に変わりました。無視だけでなく敵視さえされていたかもかもしれない県の教育委員会の雰囲気も一変し、今では離島中山間地の高校の魅力化事業を県が推進するようになりました。そして、特区を申請しても門前払いであった国も省庁が連携し、超党派による議員立法により、高校の教職員定数に関する法律を改正するまでに至りました。
」(p.F)

ただ、私自身は能力も無いですが、ふるさとを守るために、ずっと大切にしてきたことがあります。それは「気合い」です。気合いの気は、元気、勇気、やる気の気ですが、特に、大事にしているのが「本気」です。本気度の高さが物事の成否を決めます。本気度は、どんな人間でも自分の意志で高めることができるものですし、周囲にも伝播していきます。そして、こうした一人ひとりの「気を合わせる」ことが肝要です。チームとして、それぞれの気を一つにつなぎ、大きな流れが生みだせれば、壁は突破できます。そして、この気を合わせるために必要なのが、やはり「愛」です。地域やふるさとへの愛、自分を育んできた人や自然、文化に対する感謝と敬愛です。愛するもののためだからこそ、人は本気になれますし、一人ひとりの異なる気を合わせていくことができます。」(p.G‐H)

島前(どうぜん)三町村の西ノ島町、海士(あま)町、知夫(ちぶ)村は、平成大合併の頃に合併するかどうかの話がありました。当時、海士町の町長だった山内道雄さんは、人口が減っていく海士町だけでなく、島前地域全体が衰退していくことを危惧していました。その象徴が、島前高校でもあったわけですね。
人口が減るのは、進学校に子どもを入れるには松江など本土に渡る必要があり、それを機に家族全員が移住するという傾向があったからです。もし島前高校が廃校になれば、隠岐の島の別の高校に通うにも船に乗る必要があり、それならいっそのこと本土へという流れが加速することは明らかです。
そこで山内さんは、島前高校を改革して、本土へ行かなくても島の高校で十分だと思ってもらえるようにすることが重要だと考えたようです。その時にスカウトしたのが岩本悠さんなど県外の若者たち。地元意識が強い田舎ではどこも同じですが、よそ者に対して冷たくあたります。若者の言うことなど聞きません。そんな中で改革を推し進めていったことが、この文章から読み取れます。


フェリーから、遠く離れていく島影をずっと眺めていると、この小さな離島が「日本の箱庭」であり、「社会の縮図」のように思えてきた。この島が直面している人口減少、少子高齢化、雇用縮小、財政難という悪循環は、多くの地方が抱える共通の問題であり、この先、日本全体が直面していく課題である。学校の存続問題一つとっても、今後少子化が進む社会全体の課題になる。そう考えると、この島はサキモリとして、日本に押し迫ってきている難題を相手に戦う「最前線」であり、未来への「最先端」のように見えた。また島が守り継いでいこうとする、人と自然、文化、産業が調和した循環型の暮らしや、食とエネルギー、人の自給自足を目指す持続可能な地域づくりは、世界の重要なテーマでもある。この島の課題に挑戦し、小さくても成功モデルを作ることは、この島だけでなく、他の地域や、日本、世界にもつながっていく。「一燈照隅、万燈照国」。小さくても、まずこの島が一隅を照らす光を燈(とも)す。そして、その一燈が万に広がり、社会全体が明るくなっていく。そんな「妄想」が岩本の頭に広がっていった。」(p.18)

町長の山内さんの指示で動き出したのは、財政課長の吉元操(よしもと・みさお)さん。吉元さんは、まずは東京の日本語教育の学校の縁で外国人に入学してもらおうと考えたものの、断られて挫折します。次に一橋大学との関係で学生に相談したところ、一流講師を呼んで進学のための授業をする案が出てきたので、すぐに30人ほどの学生と社会人を島に呼びました。その中に、ソニーで人材育成に携わっていた岩本さんがいたのです。

岩本さんは、進学だけでなく、社会で活躍できる人材を育てたり、その後、島に戻ってきて地域に貢献する人材を養成することを目指すことが重要ではないかという意見を述べました。吉元さんは気に入って、岩本さんに島に来ないかと軽く誘ったのです。行きがかり上、それはいいと意気投合したのが、それが岩本さんの運命を変えることになったようです。

それにしても「一燈照隅」という言葉をご存知なのですね。天台宗の最澄の言葉だと言われています。私も比叡山に行ったときに、入り口にこの碑が立っていたので知りました。安岡正篤氏も同じことを言われていたと思ったのですが、安岡氏は「一燈照隅 萬燈遍照」と言われているようです。


「高校に魅力があれば、生徒は自然に集まる。存続、存続というのはかえってマイナスだ」と。魅力化とは、生徒にとって「行きたい」、保護者にとって「行かせたい」、地域住民にとって「活かしたい」、教員にとって「赴任したい」と思う、魅力ある学校になることであって、その結果として「存続」がついてくる。目指すべきは、高校の存続ではなく、魅力ある高校づくりなのだ。しかも、その魅力化は、一過性でなく、永遠に発展し続けるものであるべきだ、との想いが込められていた。」(p.24)

島前高校の存続のために、島前高校の後援会に呼びかけて、高校の存続問題に取り組むことが決まったそうです。その際、後援会に新しい名称をつけようということになり、校長の田中さんがつけたのが「隠岐島前高等学校の魅力化と永遠(とわ)の発展の会」という名前だったそうです。
過疎化が問題だからと言って、嫌がる人々を嫌がるままに地域に縛り付けても意味がありません。地域が魅力的なものであれば、自ずとそこで暮らしたい人は増えていきます。そして、そうでなければ意味がないのです。


否定的な声や、冷淡な態度を思い出しては、「あんたたちの島や学校の問題なんだから、あんたたちがもっとやるべきだろ。なんで、この島やこの学校に縁もゆかりもないヨソモノの自分が、一人でこんなことやってんだよ」と空しくなった。
 アイデアがあっても自分で何一つ決められず、何一つ動かせない状況がもどかしかった。成果が出ないところで時間とエネルギーを浪費しているのではないか。同じ時間とエネルギーをかけるなら、もっと人の役に立てる役割があるかもしれないのに。ここから大きく変えていけるのか。この高校に未来なんてあるのか。島に来て、本当によかったのか。疑問が腹の底に沈殿していた。
」(p.32-33)

「今までのシステムを変えようとするとき、新たな道を切り拓こうとするとき、必ず反発やコンフリクトがあるものだ。だからこそやる意味がある」。そして、「リーダーシップは苦難や修羅場の中で磨かれる。今はまさにその試練のときだ。ありがたい」。そんなふうに考えることで、岩本は自分自身を支えていた。」(p.33-34)

笛吹けども踊らず。人はなかなか動かないものです。当たり前と言えばそうですが、岩本さんにも苦悩の時期があったのです。
けれども、そこで諦める人ではなかったようです。逆境をバネにして、むしろ好機と捉え、前進し続けたのですね。


島前地域に長年続いてきた[若者流出 → 後継者不足 → 既存産業の衰退 → 地域活力低下 → 若者流出]という「悪循環」を断ち切り、[若者定住 → 継承者育成 → 産業雇用創出 → 地域活力向上 → 若者定住」という「好循環」に変えていくためには、地域のつくり手を地域で育てる必要がある。それは「田舎には何もない」「都会が良い」という偏った価値観ではなく、地域への誇りと愛着を育むこと、そして、「田舎には仕事がないから帰れない」という従来の意識ではなく「自分のまちを元気にする新しい仕事をつくりに帰りたい」といった地域起業家精神を醸成することで可能となる。そのことを踏まえると、島前地域唯一の高等学校である島前高校の存在意義は、地域の最高学府として、地域の医療や福祉、教育、文化の担い手とともに、地域でコトを起こし、地域に新たな生業や事業、産業を創り出していける、地域のつくり手の育成にあるといえる。
 とはいえ、高校卒業時に島へ残るよう無理に押し留めるようなことや、「遠くへ行って欲しくない」と近場に抑えようとすることは、生徒たちの可能性の開花を阻害するので、すべきではない。島から出る生徒は、「手の届く範囲に」などと小さいことを言わず、海外も含めて最前線へ思い切り送り出す。ブーメランと同じで、思い切り遠くへ飛ばしてあげた方が、力強く元の場所へ還ってくるだろう。
」(p.38-39)

田舎あるあるですが、地方には仕事がないから都会に出る、都会に出ればそこが快適だから戻らなくなる。太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」で歌われたように、そういう現象が全国にあります。それもこれも、地方が魅力的ではないからですね。


三人はそれぞれの仕事を終えて深夜に集まっては、学校や三町村で起こった問題について協議した。「できない言い訳ではなく、できる方法を考えよう」を合言葉に、現場・現実志向の浜坂、歴史・文化を重んじる吉元、理想・未来から発想する岩本、三者が心から納得できる解決策を常に探した。議論の際は、浜坂が持つ教員や生徒、学校の視点、吉元が語る保護者や、行政、地域の視点、岩本の持ち込む島外や社会、グローバルな視点など、三方それぞれにとって良い、「三方よし」を大事にしていた。」(p.43-44)

島前高校の改革プロジェクトには、さらに社会教育主事という制度を利用した浜坂健一(はまさか・けんいち)さんが加わります。浜坂さんは、西ノ島町で小学校教員をしていましたが、島前三町村の融合のため、海士町以外の町村から人材を求めていたのです。粘り強く頑張れて、新しい発想にも柔軟に対応できる人材として選ばれました。
三人寄れば文殊の知恵と言いますが、個性の違う3人が1つの目標に向けて心を1つにすることができれば、たいていのことは叶うと言われます。吉元さん、岩本さん、浜坂さんの3人は、ワーキングメンバーとしてプロジェクトを推進していったのです。


二人から「今までの実績のアピールや日本の教育を変えたいといった大きな話はせず、島の祭りや奉仕活動に参加した方がいい」と釘をさされたこともあり、地区の清掃や綱引きの練習にも熱心に取り組み、口より手足を動かし、汗をかいた。一年過ぎた頃には、言われたことの意味がわかるようになった。もう一人のスタッフである伊藤も、自分にできることをやろうと、毎日欠かさず、後鳥羽上皇に所縁(ゆかり)のある隠岐神社の境内を掃除した。こうした一つひとつの行動が、地域からの信頼を培っていった。」(p.93-94)

人材育成会社の学校事業部の責任者だった豊田庄吾(とよた・しょうご)さんもワーキンググループに加わることになりました。高校が思い通りに動かないので、塾のような課外学習のための学習センターを立ち上げ、その運営の人材を求めていたのです。
新しく入った人もまた島外の人ですから、地域住民から信頼されることが最優先なのですね。だからいきなり上から目線で新しいことを押し付けようとするのではなく、地域でやっていることに一緒に取り組み、その中で信頼されることが重要なのです。

「三方よし」の根本は、他者理解にあるからこそ、学校とはできる限りコミュニケーションをとって意思疎通することに努めた。例えば、生徒が豊田に、ある問題集の中の全文訳のコピーがほしいと言ってきた。不思議に思いすぐに学校に問い合わせると、「生徒自身に訳させ、力をつける意図で全文訳は渡していない」ということがわかった。迷わず、生徒にコピーをやめさせた。その教員は「こういう電話は助かります、ありがとうございます」と喜んだ。」(p.98)

学校が動かないから学習センターを創ったとは言え、学校は敵ではないのです。助け合い、協力し合って、同じ目標に向かって突き進む仲間です。その前提があるから、相手を立てるということができるのですね。


岩本は、島留学で高い期待を持った生徒や保護者が来て、現場でどんどん注文することで、現実を理想に引き上げていこう、という思いがあった。また、全国から多彩な「脱藩生」を募集するのだから、今までのやり方が通用しない、ある程度の軋轢(あつれき)や波乱は「あるもんだ」という前提だった。それを一つずつ克服していく過程を通して、生徒も学校も問題解決力が磨かれ、魅力が増していくと考えていた。一方、教員には、「トラブルがあったら困る」「そもそも問題は起こさないことが大切」という考え方が強くあった。」(p.102)

島前高校の生徒数を手っ取り早く増やすために、全国から留学生を募集したのですね。それが刺激となって、外界を知らない島の子どもたちも活性化していく。そういう目論見があったようですが、温度差というものはどこにでもありますね。さらに応募する側も期待したものとは違うという現実も露呈し、結果的に、最初は上手くいかなかったようです。

島外からの生徒募集に関しては、離島の高校が持つ構造上の課題を隠さずに、逆にセールスポイントに変えていく広報戦略に変更した。
 「島には、コンビニ、ゲームセンター、ショッピングモール、アミューズメントパークなど、早く簡単に楽しませてくれる、便利で快適なものがない。そうした環境だからこそ、忍耐力や粘り強さが育ち、限られた資源の中で ”あるもの” をうまく活かして豊かに生きていく知恵が身につきやすい」「波が高くなれば船は欠航し、移動もままならない。だからこそ、自然への畏敬の念やどうしようもないことを受容する力だつく」。
」(p.110)

何ごとも、それ自体に「良い」も「悪い」もありません。欠点だと思われていたことが、見方を変えれば長所になります。だから隠さずに正直にすべてをさらす。それを欠点だと見たい人はそう見ればいい。けれども、「だからこそ長所だ、という見方もある」ことを提示することで、納得して島にやってくる留学生を募集したのです。
ピンチはチャンスでもあります。だからまずそのものをありのままに受け入れる。正直に語る。そういうことが、大切なことだなぁと思います。


退散しても、またアポもなしに現れる岩本と吉元。県教育委員会のある職員は、「倒しても倒しても、また立ち上がって新たな提案を持って向かってくる。こっちはファイティングポーズで構えているのに、向こうは笑顔で無防備に近づいてくる感じだった。次第に、今度はどんなのを持ってきたんだよ、と少しだけ楽しみにもなった」と言う。」(p.144)

高校そのものもそうでしたが、県教委はさらに動かない壁だったようですね。それに対しても歯向かうのではなく、味方だという前提で、諦めずに立ち向かったのです。
かつてヤコブは天使と組み討ち(相撲のようなもの)をして、負けているにも関わらず諦めずにすがりつき、祝福を勝ち取りました。旧約聖書にある物語ですが、そこから「イスラエル(勝利者)」という名前が始まったのです。ものごとを動かす力は、相手に勝つ才能ではなく、何があっても負けないと粘る根性なのです。


島がこれだけ大変な中で、町長さんは給料を半分にしていたり、批判されてもいろいろ新しいことに挑戦しているじゃないですか。悠さんみたいなIターンの人たちだって、この島と関係ないのによそから来て、何か本気で頑張ってるじゃないですか。そういう人たちの話を聴いたりその姿を見たりする中で、だんだん思うようになってきたんです。自分もなにかやりたい。この人たちと一緒に、自分もはやく戦いたいって」。
 それを聴いて理解できた。凝った教育プログラムや優れた教育ツールが彼らの想いを育てたんじゃない。結局、人が人を育てているんだと。
」(p.180)

このプロジェクトによって、高校生たちの目の輝きが変わったのです。それは、魅力的な大人たちの生き様に刺激を受けたことで、自分の内なる欲求が噴出してきたようです。
諦めない。情熱を持って挑戦し続ける。倒されても倒されても立ち上ががる。泣き言を言わない。笑顔で突き進む。そういう生き様が人々の感動を呼び、協力したいという想いを呼び覚まし、人々の心に火を灯したのですね。


こんなことが、ふるさと島根県の過疎化が進む島で起こっていたなんて、本当に知りませんでした。そして、思いました。田舎を活性化させるのは、風光明媚な景観とか人々を引き付ける施設ではなく、人そのものだということ。情熱を持ったたった1人の人から始まり、それが3人となって力を合わせることができるなら、その地域は変わる。
あとは、それを誰がやるかということだけですね。誰?・・・その答えは、常に1つしかありません。「わたし」ですね。要は、常に私がやるかどうか、それだけが問われているのです。

まぁ、私が何をやるかはさておいて、このような感動する本に出会えたことは、私にとって望外の幸せです。このような本を世に送り出してくださった方々、紹介してくださった方、本当にありがとうございました。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:18 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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