2023年11月01日
料理研究家のくせに「味の素」を使うのですか?
Youtube動画で、「料理研究家リュウジのバズレシピ」をよく観ています。リュウジさんが作る料理はどれも手軽で美味しい。なので私もよく参考にさせてもらっています。
リュウジさんのレシピの特徴の1つは、「味の素」をよく使うことです。動画を観て、そう言えばそんなものもあったなぁと思い、私も買って使っています。ところがそれに対し、料理家が化学調味料を使うのはあり得ないとか、毒物を広めるのかとか、かなり批判非難があるようです。
私も詳しくは知りませんでしたが、「味の素」はかつて健康に悪いとされたことがありましたが、その科学的な根拠がないことが立証されていたようです。
リュウジさんは、「味の素」から報酬をもらって宣伝しているわけではなく、家庭料理においてはこれほど便利な調味料はないということで、積極的に使われているそうです。
本書は、そんなリュウジさんの「味の素」愛が伝わってくる内容になっていますが、「味の素」のことだけでよくこれだけのことが書けるなぁと感心するくらい豊富なウンチクが満載です。特に、魯山人が「味の素」使いの名人だったという情報は、本当にびっくりしました。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「誕生したのは、今から100年以上前の1909年。
主成分は、アミノ酸の一種であるグルタミン酸。これこそが「うま味」成分であることを発見し、うま味の調味料としてグルタミン酸ナトリウムを発明したのは、東京帝国大学教授の池田菊苗(きくなえ)博士。それを商品化して「味の素」として発売したのは、鈴木商店、のちの味の素株式会社です。
この世紀の発明品「味の素」ほど、数奇な運命をたどった調味料を、ぼくは知りません。「高級調味料」「家庭料理の味方」「日本の誇る発明品」ともてはやされる一方で、「原料は蛇」「健康被害や味覚障害を引き起こす」といった、事実無根の悪評にもさらされてきました。」(p.3-4)
100年以上も前から「味の素」があったことに驚きました。
「1960年代末、中華料理を食べると体に不調が生じるという「中華料理店症候群」がアメリカの医学雑誌で紹介され、その原因はグルタミン酸ナトリウムにあるのではないか、と疑われました。これがきっかけとなり、世界的にグルタミン酸ナトリウムの使用を忌避する傾向が生まれました。」(p.31
「こうして、家庭のキッチンから味の素はほぼ消えてしまいましたが、うま味調味料が入った調味料は、どこの家庭でもあるのではないでしょうか。
味の素社のほんだし、コンソメ、丸鶏がらスープ、ヤマキの割烹白だし、キューピーマヨネーズ……これらはすべて、味の素と同様のうま味調味料が入っています。」(p.32)
今では科学的に完全に否定された「味の素」の健康被害ですが、今でも信じている人はいます。そして、そういう人が平気な顔でグルタミン酸ナトリウム(MSG)が入った調味料を使い、それを使った料理を美味しいと言って食べている。この矛盾に気づきもしない滑稽さは、何と言ったら良いのでしょうか。
「むしろぼくは、「うま味調味料の原料は、砂糖の副産物である廃糖蜜です」という事実は、無駄がなくて素晴らしいと思っています。廃棄物を出さないことが企業に求められている今、サステナブルなものとして、国際的に評価されるあり方です。」(p.55)
「味の素」の原料はサトウキビの絞り粕である廃糖蜜だそうです。発酵によってグルタミン酸ナトリウムを取り出す製法が使われているとか。
それを、原料はサトウキビじゃなくその粕だ、とディスる人もいるんですね。リュウジさんは、だったら豆腐を作る時の大豆粕である「おから」はどうなんだ? と言います。おからは産業廃棄物に指定されているそうですが、主に家畜の飼料や肥料として利用される他、一部は食用として人の健康にも寄与しています。
「一方、グルタミン酸の結晶は水に溶けにくく、なめるとちょっと酸っぱいです。グルタミン酸は、その名のとおり酸性ですから。
グルタミン酸はうま味成分である、と何度もいってきましたが、じつは正確には、グルタミン酸の陰イオン状態、グルタミン酸イオンがうま味の正体です。」(p.56)
たしかに、何で「酸」とつくのかと疑問に思っていましたが、アミノ酸は酸性の物質なのですね。そして、うま味成分は中性化してイオンになったグルタミン酸塩なのですね。
「うま味調味料をがんがんに使った加工食品や外食産業の味に舌が慣れてしまって、現代人は繊細なだしのうま味や香りが感じられなくなっている、それは事実だと思います。
でもぼくは、それでもいいと思っています。いや、それがどうかしたの? くらいに思います。砂糖が貴重品だった時代に比べて、甘味に舌が慣れてしまった現代人は、野菜や米がもっている繊細な甘みには確実に鈍くなっているはずですが、それを問題視する人がどれだけいるでしょうか。
舌が退化したのではありません。料理が進化したのです。」(p.75)
たしかに、現代人が縄文時代の料理をそのまま食べても、ほとんど美味しいとは思わないでしょう。人が野生動物の食べ物を食べても、美味しいと思わないのも同様です。だから味覚が退化したというのも1つの見方なら、料理が進化したのだというのも1つの見方としてアリだと思います。
「ひとつ注意してほしいのは、これは料亭の料理人に向けて語られた話であって、家庭料理の話ではありません。魯山人自身は、家では味の素を使いこなしていました。」(p.145)
美食家の魯山人が「味の素」を論評していたというのも驚きですが、料亭の料理人に対しては「味の素は不可」と言っているようです。高級料理においては、なるべく使わない方が良いと。一方で、家では積極的に使っていたようです。つまり、使うべき時にはしっかり使い、使うべきでない時は使わないという、使い分けができていたのですね。
本書には他に、文筆家が「味の素」に触れている文章なども引用しています。昔から多くの人に親しまれ、使われてきたことの証拠となる貴重な資料ですね。
「発酵法とは、微生物を培養する培地に糖蜜などの原料を入れ、微生物の増殖とともにアミノ酸を生産させる手法です。
従来の抽出法に対して、発酵法は小規模の設備で(工場の建設費は約10分の1)、かつ低コストでアミノ酸を大量に生産できました。原料費も安く、製造期間も短縮でき、さらに抽出法で悩まされてきた大量の副産物が生まれるという欠点からも解放されました。」(p.153)
最初の頃は、塩酸を使って生産する方法がとられていたようです。純度が高いものがなかなか作れず、品質の悪いものが高価な値段で売られていた。そんな時代があったのですね。その辺の開発の歴史も、本書に詳しく書かれています。
「長年にわたって、多くのグループで臨床検査が行われてきましたが、いずれも中華料理店症候群とMSG摂取とのあいだに明確な関係は認められていません。」(p.166)
健康被害があるとしたオルニー実験が有名なようですが、それは新生児のマウスにMSG(グルタミン酸ナトリウム)を皮下注射した結果、神経に毒性を有するというものでした。しかし、その注射した量は、体重60kgの成人に換算すると実に30〜240gに相当するもので、アジパンダ瓶(70g)の約半分〜3瓶半に相当する量となります。通常、せいぜい1〜2g(アジパンダ瓶で1振りは約0.1g)を経口摂取するものを大量に皮下注射すれば、健康被害が出ないわけがありません。醤油ですら大量に飲めば死にますよ。
このような、実際の摂取とは無関係な実験を根拠に、「味の素」が健康に悪いという印象が広まったのですね。
「当時はアメリカでも、MSGはすでに日常の食品のなかに普通に使われていながらも、一般的には「中華人がよく使う、アジアから来た調味料」というイメージでした。そのため、「そんなもの、食べてもろくなことにならないに決まってる」などという偏見から生じた思いこみがあったのではないか、というのです。
なお、「中華料理店症候群」という名前は人種差別的であり、「MSG症候群」というべきだ、とも現在ではいわれています。」(p.169-170)
「味の素」が健康に悪いという思い込みは、有色人種に対する差別意識から生まれたものかもしれませんね。
「さまざまなデータが蓄積されて、うま味が基本味であると世界の研究者のあいだで合意されるようになったのは、1980年代になってからのことです。うま味の文化が発達しなかった欧米では「うま味」を示す適切な言葉がなかったことから、日本語のまま「umami」という表現が世界中で使われるようになりました。
そして2000年代になって、ついに舌の味蕾(みらい)にうま味の受容体が存在することが判明し、umami が第5の基本味であることは、誰もが認める事実となりました。」(p.181)
甘味、塩味、酸味、苦味という4つの基本味に、うま味が追加されたのです。これが日本人の発見発明によるものだと思うと、とても誇らしく感じます。
「そもそも、人間が「おいしい」と感じて満足できる食べ物には、油脂、砂糖、だし、これらが何らかの形で入っています。
じつはこの油脂と砂糖とだしには、脳に快感を感じさせ、「やみつき」にさせる効果があるといわれています。つまり、いったん好きになると、くりかえし食べたくなるのです。これは、脳の報酬系が刺激されて、快感を得ているためです。」(p.184)
「日本ではだしの文化が発達しました。これは偶然ではなく、日本では油脂や砂糖が手に入りにくかったため、おいしい料理を生み出すには、だしに頼るしかなかったのです。
世界的には、料理のおいしさは油脂が担ってきました。」(p.185)
たしかに、美味しさは脂肪にあると聞いたことがあります。私の父も、餃子の餡(あん)には油を入れないと美味しくならないと言っていましたね。それに、欧米の料理や中華料理は、油こてこてが多いです。これも美味しさを追求したからでしょうね。
「食べ物は、すべてのものが毒になりえます。食べることには、必ずリスクが伴います。ヘルシーといわれている野菜であろうと、猛烈に食いすぎたら、死にます。量の概念を入れてください。」(p.195-196)
本来、すべての毒に量の概念があります。毒物とされるヒ素だって、一定量以下であれば問題ないとされるのです。(含有量が基準値以下であれば、飲用に適すると判断されます。)
量の概念を無視するのは、不安を煽りたいからでしょうね。福島原発の処理水の問題でも、そのことが明らかになっています。
リュウジさんは、量だけではないとも言います。刺身も本来は危険な食べ物です。加熱調理した方が安全に決まっています。しかし、その危険を犯してでも食べるに値する美味しさがある。これがリスク管理というものです。私たちの生活の豊かさは、リスク管理の上に成り立っています。ゼロリスクを追求するなら、自動車だって廃止すべきでしょう。
そういう点で、ユッケや生レバーを法律で禁止するというのは愚の骨頂と言えるでしょうね。リスク管理の観点からするなら、生牡蠣を制限する方がよほど健康被害防止の観点で役立つはずですから。科学を無視して不安を煽れば、無意味なリスク管理となってしまい、私たちの利益(豊かさ)が損なわれるのです。
「味の素」と言えば、会社がタイにも進出していて、大勢の日本人の社員が働いていました。私はバンコクでソフトボールをやっていましたが、年に2回の大会に「味の素バーディーズ」さんも参加されて、毎回のように味の素製品を提供してくださいました。他のチームの人たちも、それを楽しみにしていましたよ。
タイはたくさんの屋台が庶民のお腹を満たしていましたが、その料理にも味の素製品がたくさん使われていました。きっと世界中で同じように、うま味調味料が人々の食の満足を支えているのでしょうね。そんな「味の素」は、日本が誇る食の文化であり、発明品なのです。
改めて「味の素」を見直すことができました。こんなに豊富な情報を1冊の本にまとめてくださったリュウジさんに感謝です。これからも動画を楽しみにしています。
2023年11月16日
今日、誰のために生きる?
Youtubeでたまたま動画を観て、そこに著者のSHOGEN(ショーゲン)さんと、ひすいこたろうさんが出演されていました。ショーゲンさんがアフリカのブンジュ村で聞いたり体験した話が興味深く、出版されたら読んでみようと思って予約してこの本を買いました。
非常に話題性があったためか、発売当初は品薄で、プレミアム価格で売る転売業者も多数ありました。私も最初は転売ヤーから買おうとしたのですが、入荷の予定がないままの見込み販売だったようでキャンセルし、沈静化してから通常価格で買いました。
ショーゲンさんの話は、Youtubeの動画を何本か観て、だいたいわかっていました。
100年以上前にブンジュ村のシャーマンが、縄文時代の日本人の魂から生き方を学び、それをブンジュ村に広めて、今はその生き方が村全体に定着していた。そこにショーゲンさんがやってきたが、最初は伝え聞いていた日本人のイメージとまったく異なるため、本当に日本人かと疑われる始末。しかし、本来の日本人らしさを日本人が取り戻すことが世界の希望だとわかっていたので、ショーゲンさんにそのメッセージを広めてもらおうとした。
このメッセージが本書にも書かれていました。
ただ1つ、動画にあったあるメッセージには触れられていませんでした。それは、2025年7月の話です。
動画では、2025年7月に何かが起こるというより、それ以降に世界が変化していくという話でした。津波とか大災厄の話はありません。
そのメッセージを本書でどう語っているのかが気になったのですが、まったく触れられていませんでした。つまり著者のお二人は、読者を不安がらせたり恐れさせるようなことはしない、という考え方なのでしょう。
不安を煽るのは偽物のスピリチュアルだと思いますから、少なくともお二人は、偽物のスピリチュアルとは一線を画しておられるのでしょう。書かれてなくて正解だと思いました。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「効率よく考えるのであれば、生まれてすぐ死ねばいい。
人はいかに無駄な時間を楽しむのかっていうテーマで生きてるんだよ。
お前の心のゆとりはどこにあるんだ?
お前の幸せはいったいどこに行ったんだ?」(p.7)
ブンジュ村の友だちで3歳のザイちゃんがお父さんに「流れ星をつかまえに行きたい」と言った時、お父さんは当たり前のように一緒に行って、1時間半くらい探して帰ってきたそうです。さらに翌日もまた行くと言うのでやめさせようとすると、お父さんはショーゲンさんに、「お前は流れ星をつかまえに行ったことがあるのか?」と問うたそうです。行ったこともないのに最初からできるはずがないと決めつけ、無駄なことをしようとしない。そういうショーゲンさんの態度を見て、お父さんはゆとりがないと指摘したのです。
たしかに、私たちは何のために生きているのでしょう? タイ語では、人生はしょせん「ギン、キー、ピー、ノーン(食って、糞して、やって、寝るだけ)」だと言います。それにいったい何の意味があるのでしょう?
ただ効率だけを考えるなら、生まれてもさっさと死んだ方が無駄がない。いや、生まれる必要すらない。私たちは、無駄をするために生まれてきたという逆説が考えられるのではないか。そんな気がします。
「その絵を見た瞬間に「これだ! これで生きていこう」と僕は思い、また絵からも「あなたも描けるよ、絶対できるよ」って応援されているように感じたんです。
そんなことは初めての感覚。心揺さぶられるものに出会ってしまった、という感じでした。
「もうアフリカに行くしかない!」
これを逃したら、二度とこんな衝撃には出会えないと思ったので、その日の夕方にアフリカ行きの航空券を買い、その翌日には会社に退職届を出し、僕は「この絵を描く」と覚悟を決めました。」(p.22-23)
こうして6年以上勤めた化粧品会社を辞めて、アフリカに渡ったのだそうです。たしかに衝撃的な出来事だったのかもしれませんが、素直に直感に従う姿勢、そして決断して行動するまでの素早さが、素晴らしいと思いました。
日本では昔から「思い立ったが吉日」と言っています。できるかどうかではなく、やるかどうか。やりたいかどうかだけなのですね。
「そして、最後に村長の奥さんが、僕にこう聞いてきました。
「この世の中からお金というものがなくなったとしたら、あなたは生きていける人間ですか?」」(p.32)
ショーゲンさんがブンジュ村で生活するにあたり、村長さんからは3つのことを尋ねられたそうです。それはブンジュ村に伝わる「幸せの3か条」で、「食事に感謝できるか」「日常的に挨拶を交わせる家族や仲間がいるか」「人の温もりがわかるか」の3つだそうです。
それに加えて奥さんからは、お金がなくなっても生きていける、つまり、仲間と助け合えるかどうかを尋ねられたのです。
それぞれ別の言い方ではありますが、要は他の人たちを愛せるか、愛し合えるか、ということだと思います。ブンジュ村で暮らすには、そういう人間であろうとする思いが必要なのですね。
「「おはよう。今日、誰のために生きる?
オレは自分のために生きるから。それではまた」
大人も子どもも、そう言います。
「今日も、自分の人生を生きられた?」
「今日は、どんないいことがあった?」
と聞きます。」(p.48)
「挨拶は「とりあえず言うもの」ではないんです。相手の顔をちゃんと見て、その人の状態を感じて声をかけるんです。
「ショーゲン、空を見上げている?」
僕はブンジュ村に来た当初、朝も昼も、こう挨拶されていました。それはカンビリさん家族だけではなく、通りすがりの人からも、です。
ここでは「空を見上げる心の余裕」を大事にしています。
「なんでショーゲンは、そんなに心に余裕がないの?」
と、よく言われました。」(p.48-49)
挨拶は、とりあえず言うものではなく、相手のことをよく観て、心から慮って言うもの。ブンジュ村では、実際にそうしていたし、だからショーゲンさんは心に余裕がないと見られて、空を見上げているかと尋ねる挨拶をされたのですね。
そのうちショーゲンさんにも余裕が出てくると、村人たちの挨拶が変わってきたそうです。村人同士がするのと同じように、「誰のために生きる?」という挨拶になったのですね。
「また、朝、仕事に行く途中、知り合いに会って、ついつい立ち話が長くなってしまったという時。
「仕事の時間だから、もう行かなくちゃ」
とは誰も言いません。話をちゃんとし終わってから、仕事に行きます。
みんな仕事に誇りを持っているけれど、それよりも今、目の前にいる人をとても大事にしているのです。それで仕事に遅刻したとしても、文句を言う人もいないのです。」(p.53)
バシャールの話を思い出しました。今のワクワクに従うなら、仕事だからという理由だけで自分を制限したりしないはずだと。ブンジュ村の人たちは、そういう考え方が染み付いているのでしょうね。
「失敗やヘマをすることは、恥ずかしいことじゃない。人間らしい行為であり、かわいい行為だって言うんです。
不完全であるからこそ、愛される存在だということ。だから、失敗した時は、この村では「そんな私って、かわいくない?」ってみんな言います。
そして、そんな様子をそのまま子どもに見せることで、子どもは「完璧じゃなくてもいいんだ」と自分を肯定できるようになるんです。」(p.62)
失敗やヘマを悪いことだと思わないばかりか、それが魅力的なのだと信じている。素晴らしいなぁと思います。
「「自分が、自分の一番のファンでありなさい」ということは、自分に愛を吹き込む行為です。
ある時、村長が言いました。
「愛が注がれたものからしか、愛は与えられないんだよ」
自分自身を愛で満たしていれば、自分の行為のすべてに愛が宿る、というのです。」(p.75)
まずは自分を全肯定して、素晴らしいと称賛する。それが自分を愛することですね。そして自分が愛で満たされたからこそ、他人を愛することができる。
私も昔、考えたことがありました。自分が満たされないから、他人を愛せないのだと。ただそのころは、その自分を満たす愛を他人に求めていました。だから愛の取引きをしてしまったのです。私があなたを愛するから、あなたは私を愛してくれ。私が愛した1/10でいいから愛してくれ。愛に飢えていたのです。
本当はただ自分で自分を愛すれば良かっただけ。自分が自分を愛さないから、自分を憎み、他人を恨んだのです。
「外に干してある洗濯物だって、着たい人が着ていいんです。家族かどうかは関係ありません。お気に入りの服を干していて、誰かがそれを着て行ってしまったとしても、この村では「着てくれたんだ」と思うだけ。「自分の物」という感覚が薄いので、問題にならないのです。」(p.80)
ブンジュ村ではシェアするのが当たり前だったそうです。包丁すら数家族でシェアしていて、どこの家にあるかをみんなが知っていたとか。もしジャガイモを切りたくなったら、ジャガイモを包丁がある家に持って行って、一緒に切ってもらえばいい。そういう考え方なのだそうです。
「カンビリさんは、さらに熱く語りました。
「感謝の気持ちを伝えたいって思う時の心は、どういう状態だと思う?
心に余裕がある時なんだ。
心に余裕がないと、誰も感謝を伝えたいなんて、思えないよね。」」(p.90)
心に余裕があれば、今あるがままの中に感謝の種を見つけることができる。ブンジュ村の人たちはそう考えるので、たとえばリュックの紐が3年切れてないだけで「すごい!」と感動し、そのメーカーに感謝の気持ちを伝えたいと思うのだそうです。
ショーゲンさんも帰国後、ライブイベントで描いた時のペンキの色が素晴らしいと感動し、すぐにペンキメーカーに感謝を伝えに行ったそうです。それが縁で、スポンサーになってもらえたとか。スポンサーになってもらおうという下心からの行動ではなく、真心からの行動だったから、そういう結果が起こったのでしょう。
私も、飛行機に乗ってCAさんの対応が素晴らしかった時、感動と感謝の手紙を航空会社に送ったことがありました。私の場合は、それで何か恩恵を得たわけではありませんが、もしそれが社内で広められて喜んでもらえたなら、それで十分だと思っています。
「村長はさらに言いました。
「虫の音がメロディーとして聞こえる、会話として聞こえる、
その素晴らしさは、当たり前じゃないからね。
なんでそういう役割を日本人が与えられたのか、ショーゲンはもう気づいているでしょ?
幸せとは何か、本当に大切なことは何か、
それがすでに日本人はわかっているからだよ。
だからそれを伝えていく役割が日本人にはあるんだ。
そのことに気づいてほしくて、ずっとずっとショーゲンに語ってきたんだよ」
そう言われて、何かのスイッチが入ったような感覚になりました。
「日本人として生きていく」
言ってみれば、そういう決意のスイッチです。」(p.112-113)
日本人は、心に余裕があって自然を豊かに感じることができる感性を持っている。だから、日々の暮らしの中で幸せを感じ、自分を愛し、他人を愛し、自然を愛して生きていける。そういう日本人の生き方を、自らがやってみせることによって、世界の人々に知らせていくのが日本人の使命。
その使命を思い出させるために、ブンジュ村の村長さんはショーゲンさんにメッセージを伝え、そしてショーゲンさんは私たちに伝えてくれているのです。
「村長がある日、僕に言いました。
「ショーゲン、なんで日本人は心のゆとりを失ったんだ?
今の日本人は、みんなそうなのか?
空も見上げられない人が多いのか?
誰かに、心のゆとりを持っていかれたのか?
本当の日本人は、そうじゃなかったんだ。
世界中で一番、空を見上げる余裕を持っていたのが日本人なんだ。
取り戻してくれ、今すぐに。
世界中の人が一番大切にしないといけないのは、日本人だとおれは言い切れる。
だから、その感性を取り戻してほしい。
日本人は、心の豊かさと、ゆるがない心の安定を持っている人であってほしい。
それが日本人の役割なんだよ」」(p.122-123)
私たちは日本人として、ブンジュ村の村長さんの期待に応えられるでしょうか? 世界の人々の希望でいられるでしょうか?
「僕の帰国が決まった時、村長は言いました。
「虫の音がメロディーとして、会話として聞こえることが、
どれだけ素晴らしいことか、日本人には改めて考えて、感じてほしい。
ショーゲン、日本人にその素晴らしさをちゃんと伝えてね。
おれは地球にはまだ希望があると思っている。
日本人は1億2千万人もいる。世界は80億人だ。
世界の80人に1人は日本人なんだ。
だから、地球にはまだまだ可能性がある。
地球のために頼むぞ日本人!
日本人こそが世界を真の幸せに導ける人たちなんだから」」(p.130-131)
ブンジュ村の村長さんは、この本が出版される前に亡くなられたそうです。村長さんの遺言を、私たちは受け止められるのでしょうか?
「村長からは、「聞いてくれた人みんなにわかってもらえなくてもいい。ただ、話し続けることが大事なんだ。話し続けることは、自分も聞き続けていることだから、ショーゲン自身も変わっていくよ」と言われました。」(p.132)
私がやっているのも、そういうことです。メッセージを発信していますが、それは誰かを変えるということよりも、自分自身が変わるためなのです。
だから、変わりたいなら表現することです。自分がメッセージを発信し続けることです。ショーゲンさんも、それによって自分が変わったと言われています。
「サティシュさんのお母さんは、さらにこう言ったそうです。
「お母さんはね、針を動かしてる時ほど、心が休まる時間はないの。
でも機械に急かされるようになったらおしまい。
それに、機械があれば仕事が減るなんていうのは、嘘だと思う。
年に1枚か2枚のショールでよかったのに、ミシンがあったら10枚のショールを作ることになって、結局はあくせく働くことになる。そうなれば、前よりもずっと多くの布が必要になってしまうわね。
時間を節約したとしても、余った時間で何をすると言うの?
仕事の喜びは、私の宝物みたいなものよ。」」(p.176)
ひすいさんのパートですが、インド生まれの思想家サティシュ・クマールさんのエピソードが書かれています。
ここにも、「生きる」とは効率ではないのだということが表れています。いくら何かを成し遂げようと、時間を生み出そうと、大したことではないのです。「生きる」とは、その一瞬一瞬を味わって、その素晴らしさを表現すること、祝福することなのです。
「「人間の役割の中でも、ほかの生き物と比べてもっとも特徴的で人間的なのは、
『愛すること』(ラブ)と『祝福すること』(セレブレーション)なんだよ」
祝福する役割とは、美しい木を見つけた時に、詩を書くとか絵に描くとか、称えたり歌ったりすることだそうです。
人間の役割とは、つまりは愛することと、感動を表現することなんです。」(p.193)
人間だけが、自然を鑑賞することができるのです。その素晴らしさを感じて、称えることができるのです。
本書の冒頭で、縄文時代の火焔型土器が取り上げられていましたが、最後にそれについてもう一度、ひすいさんは語ります。
「煮炊きに使う器としては、ベラボーです。非日常の聖なる儀式に使われるものだったとしても、ベラボーです。無駄を楽しみ、生きるのを楽しんでいることが伝わってきます。
これだけの美しい装飾を施した古代の土器は、世界にも類がない。」(p.195)
たしかに、複雑な文様を施しただけでなく、縁の部分は複雑な造形で、造るのも大変だったでしょうけど、これを普段の煮炊きに使ったというのですから驚く他ありません。何たる無駄、何たる非効率、何たる遊び。そう、人生とは壮大な無駄をする場なのです。それがわかっていたのが縄文人であり、私たちの祖先なのです。
そう考えてみれば、日本人がいかに稀有な存在であるかがわかりません。争いのない1万4千年もの長く平和な社会を造った日本人。私たちには、その血が流れているのです。
最後は、ショーゲンさんのメッセージです。
「また同時に、僕自身、日々の生活に丁寧に愛を注げる存在になりたいと思っています。だって「愛が注がれたものからしか、愛は与えられない」のですから。
そう考えると、生活そのものが、アートなんだと実感しています。
愛を持って丁寧に過ごす日々は、愛の物語であり、愛のアートになるんです。
これは僕だけではありません、誰にとってもそうなんだと思っています。
丁寧に喜びを感じて生きる。
そのためにすることはひとつ。
自分のために生きること。」(p.207-208)
私たちが、自分のために自分の人生を丁寧に生きるなら、その生き様が世界の人々へのメッセージになるのではないでしょうか。
丁寧に生きる。武田双雲さんの「丁寧道」という本にもありましたが、私たちの人生は、無駄なように思えても、無意味なように思えても、丁寧に丁寧に扱って味わい尽くし、それを表現することに尽きるのかもしれませんね。
生まれてきたなら、いずれ死ぬことは間違いありません。それが100年間だろうと50年間だろうと、あるいは1年間だろうと、その差がどれほどのものでしょうか。その間に何を得たかとか、何を成し遂げたかとか、それが何ほどのことがあるでしょうか。内村鑑三氏は、「後世への最大遺物」という講演において、そのことを示しました。私たちが真に遺せるものは、「生き様」なのだと。
そのことを、ショーゲンさんやひすいさんは改めて教えてくれています。そのメッセージをどう受け止めるのか? 問われているのは、私自身です。私は私として、そのメッセージを受け止め、どう受け止めたかを私の「生き様」で示したいと思います。それが、私の生の表現であり、私のアートなのです。
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